本を読む理由。

こんにちは、山本です。

本を読む理由。

なんて人それぞれだけど、一般的に言えば次の3つに分けられると考えています。

1.娯楽のため

2.情報を得るため

3.理解を深めるため

まあ「1」に関しては特に説明はいらないでしょう。フィクションや雑誌、個人的にはビジネス系の新刊もここですかね。

「2」はいわゆるノウハウ本。

資格取得や仕事やビジネスに必要なスキルを学ぶのもここです。

「3」を万人に共通するもので定義するのは難しいのですが、そこは強靭な精神をもって勢いで言ってしまえば、



・自己改革を目指して読む本



です。

そんな「3」に該当する本は何かと言われれば、個人的には古典と言われる哲学書や思想書などに多いとは考えておりますが、もちろん「それだけです」と言い切るつもりはなく、時と場合によっては、ノウハウ本だって自分を変えるのに役立つし、小説や漫画だって自己改革に繋がることもある。

ただ一般論ですが、理解を深める目的は「今より前進したい、今を変えたい」等があるわけですから、その欲求に耐えうる本はやはり深淵なテーマを取り扱ったカテゴリーに多いのが実際のところです。

でね。

読書会を主催していて思うのは、みんな理解を深めたいと思って哲学書や思想書を読もうとはするんですよ。

でもね。

そのモチベーションが続かない。

読書会に参加するまでは、「よし!かんばるぞ!」と思う。

けど次の日からは日常を過ごすのに精一杯で次第に読まなくなる。

それはよくわかるのです。

みんな忙しいから。

会社に行ったり、通勤したり、スマホでゲームをしたり、テレビを見たり、飲み会に参加したり・・・

嫌味に聞こえた人にはごめんなさい(笑)。

まあ、だからこそ僕は定期的に読書会を開催して、下がったモチベーションを上げる「きっかけ」の場を作っているわけですが、それは僕が勝手にやっていることだからいいとして、皆さんの読書に対するモチベが下がる理由を読書会主催者として考えてみたわけです。

結局ね。



「何の得があるの?」



だと思うのです。

先ほどの「2」の読書で言えば、資格を取ることで昇級する、英会話ハウツーを学び海外旅行を楽しむ、ビジネスで稼ぐといったメリットが明確ですよね。

方や「3」。

メリットがわからない。

この前開催した読書会では哲学書1ページを読むのに約2時間かかりました。

それだけかけてもまだわからない箇所がいくつもある。

それが哲学書。

そんなものに有限な時間を使う意味がわからない。



「だから、私に何のメリットがあるの?」



に行き着く。

当然の帰結かもしれません。

当然かもしれないけれど、すごく勿体ないなあと僕なんかは思うのです。

理解を深める読書をしようとしたのに、それに費やす労力(時間・お金)に対する結果に意味が見出せずにやめてしまう。

勿体無いなあと。

なぜかって?

成功哲学でよく聞かされるエピソード。

ゴールドラッシュが始まるすこし前のアメリカ。

金脈(油田)を探し採掘していたドリーマーA。

「絶対にここだ!」確信を持って作業を続けること3年。

確信が揺らぎ始め「もしかしたら間違いかもしれない・・・」と疑念が芽生える。

その種がいつしか心を覆うくらいまで育ち、ボキッと挫折。

諦めて故郷に帰る。

数日後。

別のドリーマーBが同じ場所を採掘。

3日後。

油田を掘り当てました。

めでたしめでたし。



哲学書を理解したいとせっかく行動に移したのに諦めてしまう。

もしかしたら油田はすぐ目の前だったかもしれないのに。

勿体ないと僕が思う理由です。



誤解して欲しくないのは、僕は「結果(油田=メリット)」を欲することを否定しているわけじゃない。

「結果」は誰だって欲しいもの。

僕だって欲しい。

効率絶対主義の世の中だからね。

でも僕の中では「結果」はそんなに重要じゃない。

結果よりもっともっと大切で貴重なことを読書を通じて見つけることができたから。

そして僕が見つけたその大切なものは、「賢明なる読書家」たちが共通して持っているものだと確信しています。

何だと思います?

経済面だけの一例ですが、年収3000万以上の人に「優れた読書家」は多いです。

彼らと接したことがある人は実感あると思いますが、彼らはすごく穏やかです。

いわゆる一発屋や成金とは違い、風格と気品と高貴さを纏っています。

・・・本を読むメリットとしては十分な対価ではないでしょうか。

この対価を得るためには時間もお金もかかります。

賽銭箱に100円玉投げたら釣銭はでてこない。

でもお賽銭をし続ける。

そんな感じ。



だからと言って、闇雲にお賽銭を投げ続けても意味はありません。

弓道をやっている知人は言います。

「何も考えずに闇雲に矢を放っていても意味はない。

 常に課題を持ち、常に考えながら、常に工夫して、

 都度修正し、いつも練習することで

 美しい一投に近づける」と。

武道の世界には『守・破・離』と言うものがあります。

『守』は、先生の教え(型)を忠実に守る。

『破』は、その教え(型)を自分なりに更新する。

『離』は、教え(型)を離れて自分の道を歩む。



読書も同じです。

闇雲に読んでいても意味はありません。

「月に100冊読んでいます」とただ多く読めばいいと勘違いしている人たちに憧れは抱きませんよね。

(多読を推奨する優れた読書家がいることはわかっています。ただこの場合の多読は彼らの読書法に限ってのみ有用です。そんな彼らが実践している読書法に関しては後述します)

多読や速読はロマンがあるので否定しませんが、これらは本質的には『破』あるいは『離』です。

精読という『守』があって初めて成り立つもの。

世の中にはいろんな「読書法」が出回っていますが、ほとんどが『破』や『離』です。

なぜか?

夢を見させてくれるから。

現実的に言えばお金が儲かるから。

一方、『守』は地味です。

地味は儲からないしチヤホヤもされない。

体育館の片隅で一人ダムダムダムとドリブルの練習をさせられていた桜木花道がキレるのも納得。

派手にプレーする流川楓に晴子さんの目はハートでしたから。

だからって花道は投げ出さなかった。

庶民シュートを特訓します。

1週間に2万本のミドルシュートを練習をします。

かっこいいですよね。



読書に話を戻します。

先ほど僕は闇雲に読んでも意味はない、世の中に出回っている読書法は夢でしかないと言いました。

これが僕が読書会を開催する理由の一つではあるのですが、読書会は今のところ東京だけの開催ですし、日程や時間の都合などもあり参加したくてもできないという方もいるかと思います。

また読書会はあくまで実践の場なので、そこで毎回読書の『守』の話だけをしてもそれはそれで読書会の趣旨からは外れてしまいます。

ということで、「読書法」と言ってよいのかはあなたの判断にお任せしますが、先ほどお伝えした「優れた読書家の人たちがどういう読書をしているのか」をまとめたものを創りたいなあと考えております。

冒頭のカテゴリーで言えば「2(情報)」です。

理解は情報(知識)がベースになります。

だから優れた読書家の人たちは日々学び続ける。

そんな彼らの読書法(型)をまとめたもの、とご理解いただければ間違いはないかと思います。



で。

ここでアンケート。

あなたは優れた読書家たちが実践している読書法を知りたいですか?

僕としてはこの読書法は「3(理解→自己改革)」を目的として本を読みたい人には必須のスキルだと考えているのですが、「いや別に」ということであれば作っても意味ないですからね。

僕もそんなに暇じゃないので(苦笑)。

ということで、この読書法に少しでも興味がある方は以下クリックして頂けると助かります(単にニーズがあるか知りたいだけです。クリック後はある動画に飛びますが深い意味はありませんので悪しからず)。

毎度のことながら、クリックしたからって勝手に登録とかはされませんのでご安心ください。



○読書法に興味あるよーという方はこちらをクリック



興味ある人がいてくれたら嬉しいな。

それでは、長くなりましたが今日は以上です。

ここまでありがとうございました!

山本




【追伸】
読書会に興味がある方はこちらに概要が記載されていますのでどうぞ。

すこしむずかしい本を、丁寧に読む読書会

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