『風立ちぬ』を再観して、スーツに目を奪われる。
こんにちは。
山本です。
『風立ちぬ』を観てきました。
はい、2回目です。
あれから2ヶ月程経って、いまの僕が改めて『風立ちぬ』
を観るとどういう感想になるのかに興味があり行ってきました。
因みに、前回観たときはこんな感じ。
↓
『風立ちぬ』から受け取った3つのメッセージ
まー2回目ともなると、1回目とは違い心の準備もできている
わけです。
「いいよね、このシーン好きだなあー」とか、「そうそう、
ここの菜穂子の目が美しすぎる」とか、「カプローニさん
いいこと言うんだよなあー」と、わかっているはずなのに、、、
何なんでしょね?(笑)
コノヤローって感じですよ(笑)。
ただ今回は、僕の中に二つの視点がありました。
一つは、前回同様内容に関しての視点。
内容を知っているはずなのにコノヤローって思ってしまう
くらい、相変わらず美しかったのは実際のところですが、
観ていて僕の中で結構なウェイトを占めていたのが実は
もう一つの視点。それは、
・登場人物のスーツ
です。
「スーツ?」と思われたかもしれませんが、いやはや、
かっこいいんですよ。
スーツ姿が。
もちろん、時代背景もありますし、あなたもご存知
スタジオジブリの絵ですから、所謂、メンズEXとかで
バンバン宣伝されているような細身のモテスーツでは
ありません。
今の若い人から見たら、おっさんくさいスーツに映るのかも
しれません。
でもね、かっこいいんですよ。
3ピーススーツ、帽子、凛とした立ち姿。
第二の顔とも言われるVゾーンのバランス、スーツの襟と
袖口からバランスよく覗くシャツ、野暮ったいように見えるが、
人物の動きに合ったスーツの皺(動き)。
仕事中のスーツ、避暑地でのジャケット、ドイツ視察時の
コートとマフラー。
どのシーンを観てもかっこいいのです。
「あー僕もこんな風にスーツを着こなしたい」と、
映画館の帰りしなにスーツをオーダーしに行こうか
迷ったくらいですから(笑)。
まっ僕がオーダーしている仕立て屋は、月曜日は工房に
入って店舗にはいないのでこの日は大人しく家路に着いた
わけですが、僕はなぜかっこいいと思ってしまったのか?
おっさんくさいぼてっとしたスタイル、勇気がないと
なかなか着れない淡い色。
今の流行とは真逆と言ってもいいくらいのスーツなのに、
僕はかっこよさを感じてしまった。
やっぱりそれは、
・着る人が「いま」を生きているから
だと思います。
「映画(アニメ)の登場人物が「いま」を生きているわけ
ないじゃん」という野暮なツッコミはしないで下さいね。
映画(アニメ)の登場人物を生み出しているのは人なわけ
ですから。
でね、僕がなぜそう思ったのかと言いますと、、、
素晴らしく上質な素材を、世界最高の技術で仕立てたとしても、
着手が無知なら、そのスーツは趣味の悪いものとなってしまう
のに対して、
地に足をつけ「いま」を生きている着手なら、そこそこの
素材のスーツだとしても、そのスーツは着手をよりかっこよく
魅せることができる趣味のよいものとなるからです。
この違いはどこから生まれてくるのでしょうか?
ちょっと前にちょいワル親父ってのが流行りましたよね。
関連雑誌が多数創刊され、休日の銀座界隈には似たような
親父が溢れ返っていたのは記憶に新しいかと思います。
(今も多くいますけど、、、)
確かにかっこいい親父もいますよ。でもね、そんなかっこいい
親父はごく稀で、ほとんどのおっさんは見ていてなんとなーく
「?」と思ってしまう。もっと言えば「痛い」。
これは何も一般人に限った話ではありません。
一般人よりも、お金を持っているであろう、服飾を勉強できる
機会が多いであろう人でも、そんな人だらけですから。
例えば。。。
僕は、テレビを持ってないくせにネットで動画を検索してまで
『アド街』を見る人なのですが(笑)、アド街の出演者にも
対照的な2人がいることお気づきでしょうか?
元やり投げ選手と、元編集者のスーツを見比べて見て下さい。
どちらが、「いま」を生きているのか?
どちらが、無知であるのか?
どちらが、自分と自分のいる環境を理解しているのか?
きっと、この2人を見るだけでも僕がお伝えしたいことは、
なんとなーくわかって頂けるかと。
また、政治の世界ではイメージ戦略というものがあります。
アメリカ大統領はすごくわかりやすいので、例とさせて
頂きますが、大統領演説などでは赤いネクタイ姿を多く
見かけます。
これは、たまたま赤いネクタイ好きの人がアメリカの
大統領になったから、というわけではありません。
ちゃんと意味があるのです。
赤いネクタイ戦略の有名な話としては、第35代大統領選の
ニクソンvsケネディの討論会。
ベテランニクソンに対して、若造であるケネディは有権者に
「力強さ」「信頼」「リーダーシップ」を勝つために示す
必要があった。そこでケネディは討論の内容はもちろんだが、
視覚からもアピールする必要があると服装をも戦略に
組み込んだわけです。
(当時、テレビが普及しだし、その重要性にいち早く気づいて
いたのでしょうね)
紺色のスーツに、白シャツ、赤いネクタイ姿のケネディは、
視覚によって有権者に、紺色のイメージである「誠実」
「冷静」「信頼感」を、白色のイメージである「清潔」
「永遠」を、赤色のイメージである「情熱」を、効果的に
アピールすることができたのです。
この視点でアメリカ大統領をよくよく観察してみて下さいよ。
いつも赤いネクタイしてますから(笑)。
でね。
結局何がお伝えしたいかと言いますと、
・服装も自己である
ということです。
「なぜこれを着るのか?」を理解せずに、60万もするスーツを
着ても多分周りからは「痛い」人と思われてしまうでしょう。
60万もかけて「痛い」と思われるのって悲しいですよね(泣)。
ただね、周りから「痛い」と思われるのも悲しいですが、きっと
いつか自分自身でも違和感が芽生えてくるはずなんですよね。
「あれ?なんかしっくりこないなあー」って。
そこで、また違うブランドのスーツを買ってみる、、、「あれ?」
また違うブランド、、、「あれ?これも違うな、、、」
じゃ次はオーダー、、、「あれれ?」
これは、生地が悪いわけでも、仕立てが悪いわけでもない。
偏に着手の無知からくる違和感だと僕は思うのです。
先程、赤いネクタイ戦略の話をしましたが、もしこの話を
知っていたなら、仮にあなたが営業マンだったとして
新規顧客への初回訪問時に赤いネクタイは避けますよね?
つまりは単純にこういうこと。
どんなに優秀な人だとしても、
ヨレヨレのスーツに、カフスが汚れたシャツ、第一ボタンは
とめずネクタイもゆるゆる、靴はかかとを踏みつぶした後があり
埃まみれ、時計はGショック
だったら、きっとこの人は営業マンとしては成功しない。いや、
営業マンじゃなくても多分どの世界でも成功はできないと思うのです。
「身は体を表す」って諺はないのだけれども、当たり前のように
使われることを考えても、なんとなーく理解できるかと思いますが、
ただこんな理屈っぽく考えなくても、あなたも直観でそう思いませんか?
ですので僕は、もし今の自分を変えたいと思うなら、まず服装を
変えてみてはいかがでしょうか?と提案しています。
それは、僕自身の経験から言えることでサラリーマン時代に、
まず靴、そして、シャツ、ネクタイ、時計、スーツと少しずつ
学んで、そして、買い替えていったことにより、周りからの
評価もそうだし、何より自分自身が変わっていく実感が
ありましたから。
そうやって一歩ずつ自分と対話することによって、
ちょっとずつ自分がわかり、そして、それがまた次の
スーツ(自己)に繋がっていく。
オーダースーツは3着までは勉強と言われていますが、
僕は今まで2着のオーダースーツを作ったことにより、
経験としてこの言葉が指し示す意味を理解しつつあります。
それは、1着目だって「おおーっ」って感動はありましたし、
十分に満足した出来だったのですが、2着目が仕上がった
ときは、それを上回る「おおおおおーっ」がありましたから。
これも経験しなくてはわからないことです。
僕らは少し頭でっかちになり過ぎているのかもしれません。
補助輪なしの自転車に挑み、乗れたときから知っている
「経験を通じて学ぶ」を、いつの間にか忘れ、
「経験を通さない学び」があると思って生きているのが
僕ら現代人なのかもしれません。
スーツにしたって同じことです。
雑誌に取り上げられているから、値段が高いから、
芸能人が着ているから、と自己を通さない決断は
大概痛い目を見るわけですから。
ただ問題なのは、この痛い目に気づかないことです。
自分が痛い目にあっていることに気づかない人は、
どうしたって痛いままですから。
ちょっと気にするだけでいいと思うんですよ。
既製服だとアームホールがでかすぎるとか、座ったときに
襟首が抜けるとか、吊り革に捕まったとき袖がずり上がる
とか、ちょっと意識するだけで学びのきっかけが多くある
はずですから。
僕のように『風立ちぬ』でスーツばかりに目がいってしまう人も
(そんな人いるかわかりませんけど。笑)、なぜスーツが
気になるのか?という点に気づければ、それは自然と何かの学びに
繋がると思うのです。
こういった学びの一つ一つが、あなたという自己の確認作業に
なると思うだけで、結構楽しくないですか?
自分ってのは、自分が一番よく知っていると思っているけど
(錯覚しているけど)、実は自分が一番よくわかっていない
なんてよく聞く話ですからね。
こうやって自分を客観的に確認する作業は必要だと僕は思います。
さてさて。
『風立ちぬ』を観て、改めてスーツ(自己)の重要さを学んだ
わけですが、何度も言うようにどんなに素晴らしいスーツも
着手がいてこそなわけです。
逆に、着手がいなければ、どんなに素晴らしいスーツも意味を
なさない。
(観賞用としては意味があるかもしれませんが)
そして、男を最上にかっこよく魅せる服装はスーツだと僕は
考えていますから、我々はスーツをかっこよく着こなすべきである。
それにはまず着手である自分自身を高めていく必要があるわけです。
今回は、その一つの例として僕の考えをお伝えさせて頂きましたが、
「山本の話よくわからなかったぜ。だけどかっこよくスーツを
着こなしたい」という場合は、「クラシック」をキーワードに色々と
検索してみて下さい。
何事も基本を知らないことには、地に足着きませんからね。
まずは地に足をつけつつ、徐々にあなたらしさを表現していくことが
スーツをかっこよく着こなす一番の近道だと思います。
ちなみに、『風立ちぬ』に登場するカプローニさん、
さすがイタリア人。かっこいい着こなしをされておりますので、
その辺も参考になさってみてはいかがでしょうか。
スーツをかっこよく着こなせる大人を目指して一緒に
成長していきましょー。
それでは、何かありましたらお気軽にご連絡下さいませ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
山本
(ちなみに、この人はカプローニさんではなくカストルプさんですので悪しからず)