体現

こんにちは。
山本です。

先日、中学の同級生の紹介で刺激的な空間に居合わせることができました。そこには、

  • 大人の色気漂うギャラリーオーナー兼アーティスト
  • 好きなことして40年の頼れるパソコンテクニシャン
  • ハイビスカスを愛でる不思議な雰囲気を纏ったフォトグラファー
  • 一年の半分をパリで過ごすけどフランス語は話せない陽気なパリジェンヌ
  • 筋トレで身体にも絵にも厚みをもたらす額縁職人

と、ある意味カオスな空間が広がっていたのですが、こういう人達は次々に新しい何かを生み出し、その空間が居心地のよい場に昇華していくんですよね。初めてなのにまったりとゆっくりと場を楽しませて頂いちゃいました。

そんな空間に招待してくれた同級生に深い感謝をしつつ、そこで出会えたギャラリーオーナー兼アーティストからの学びが本日の内容です。

それではよろしくお願いします。

1.女性はこんな男に抱かれたいと思う

GuyAntiqueGallery_JMLicebike

「この人かっけーな」

先程ご紹介したギャラリーオーナー兼アーティストに対する第一印象です。紹介してくれた僕の友人が「いつもいい刺激をもらってるよ」と言っていた意味がわかりました。

「60歳はまだまだひよっこだよ」と笑いながら語るその表情や、「次のイベントでオークションをやるってのはどうかな?俺オークション好きなんだよね」と目を輝かせながら少年のように遊び心満載でアイデアを出すその姿に、僕もすっかり魅了されてしまいました。

百聞は一見に如かず

とはよく言ったもので、このギャラリーオーナーは彼の取り巻く世界全てが彼を語っています。

例えば、通常ギャラリーというとちょっと敷居が高いイメージがあるかと思いますが、彼のギャラリーは「ゆっくりしていってよ」的な雰囲気で、よい意味で場がゆるいんですよね。それは彼のギャラリーで取り扱っているレイモン・サヴィニャックのポスター、彼がヨーロッパで買ってきたアンティーク雑貨、玩具、エントランスに設置してあるブランコやベンチ、そういったもの全てがその雰囲気を作り出していて、その一つ一つに彼のこだわりがあり、故にその一つ一つが彼を語るわけです。

「一貫しているのが彼の魅力。
 外ではアーティストぶってても家は日曜日のおじさん、みたいな人がいるけど、彼は家も生活も仕事も趣味も持ち物もすべて一貫している。」

ギャラリーオーナーと40年以上の付き合いになる方はこう語りました。50年前のヴィンテージバイクを転がし、5年に一軒しかデザインしない建築デザイナーの家に住み、パナマハットを大人の魅力満点に着こなすその姿は「かっこいい」の一言につきます。

女性はこんな男に抱かれたいと思うんだろうなぁ

彼の世界観に浸りながら、ふと考えてしまいました。

人それぞれ好みは違うけれど、魅力的な人(=人が集まる人)には特長があります。それは、イケメンだとか、ファッションセンスがいいとか、お金を持っているとか、そんな表面的なものではなく、もっと普遍的で根源的なものです。そう、このギャラリーオーナーのように

自分の思想、理念を体現している人に人は集まるのです。

僕は最近Twitterなるものを始めたのですが、そこにはTwitterをビジネスツールとして利用している人が多くいます。「自由に生きる方法教えます」とか「一度きりの人生自分の思うままに生きましょう」とか「世界中どこでもPC1台で稼ぐ方法教えます」的なツイートが無思慮なまでに散見されます。もちろんそれ自体が悪いわけではないのですが、僕がそういった人に全く魅力を感じない理由が、彼らが言う自由を彼らが体現していると思えないからです。

自由、自由とバカの一つ覚えみたいにつぶやくのは結構ですが、彼らが「自由」について考えた形跡が感じられない。何を持って自由と言っているのか?お金さえあれば自由なのか?時間さえあれば自由なのか?結局、彼らは自分のお金欲しさに喧伝しているだけに聞こえるのです。

そういった人に知り合いは一人もいないので直接聞いたことはないけれど、きっと彼らは自分が思っているような結果は残せていないと思うのです。

もちろん別に悪気があってそうしているわけではなく、本気で「自由になる方法を教えたい」と思っている人もいるかもしれませんが、僕個人としてはそうであってもやっぱり魅力を感じないのです。なぜなら

自由の体現は人それぞれであって、必ずしも「お金」「時間」「仕事」が絶対的な自由とはならないから。

人によっては年収1000万で経済的自由を感じる人もいれば、感じない人もいる。1000万円手にしたからといって家族と過ごす時間を失っては自由を感じない人もいるでしょう。つまり、人生における自由への道のりは個別的なのであり、決して一意に決まるものではないのです。

ですから「自由を手に入れる方法を教えます」と彼らが自由を手に入れた(と思っている)方法を教えてもらっても、それが全ての人に当てはまるわけではないのです。

なのに、それを知っていて敢えて言わないのか、そもそもそういったことに気づいていないのか、どちらにせよ僕には彼らが利己主義者に見えてしまうのです。

自由はあくまでその人個人が見つけるもので、僕らができることはそういった人に対して「何かしらのきっかけ」を与え続けるだけだと思うのです。

決して、「自由はこうやったら手に入ります」と決めつけてはいけない。

僕はギャラリーオーナーに魅了されましたが、バイクの趣味があるわけでもなく、アンティーク雑貨、玩具に興味があるわけでもありません。もし仮に彼と全く同じ生活をしたとしても、僕はそこに自由を感じることはないでしょう。

誰しもが「お金持ちの家に生まれていたら」「もっと背が高くモデル体系で生まれていたら」「○○さんのように生まれたかった」的なことを考えたことあるかと思いますが、きっとそこには僕らが求めているものはないと思うんですよね。だって彼らは自分ではないのだから。

僕は今までに幾人もの「自分の人生を生きている人」(今までの文脈で言えば、自由を手にしている人)とお会いして学んだことがあります。それが

体現

です。「男は黙って背中で語る」ではないですが、その背中がその環境にいる人の「きっかけ」となるのです。そして人は「きっかけ」を与えてくれた人に、何かしらを返したいと思うものです。これは直接的な返報でなくとも、間接的に巡り巡るもので、芸人の世界でよく聞く「先輩におごってもらったから後輩におごる」がいい例だと思います。だからそういった人には自然と人やモノが集まってくるのです。

人が集まるということは、人は何かしらの価値を感じて集まるわけです。もちろん何に価値を感じるかは人それぞれですが、価値の根源には

知らない世界をみせてくれる何か

があると僕は考えています。それは人であってもモノであってもです。ケリーバックに価値を感じる女性は、ケリーバックそのものに価値を感じているのではなく、ケリーバックを持って町を歩くわたし、その世界に価値を感じバックに100万円払うわけです。

ギャラリーオーナーのように人が集まる人というのは、その人自体に価値があるわけです。

求めよさらば与えられん

じゃないですけど、人は神に価値を感じるから何かしら(新約聖書で言えば「正しい信仰」)を期待し求める、つまり神は人に何かを与える、故に人が集まるわけで、このギャラリーオーナーも世の中に多くの価値を提供しているから、人が集まり素敵な空間を作れるのだと僕は思います。

逆を言えば、

価値を提供できないところには何も集まらない

ということです。お金がないとか、仕事がつまらないとか、うまくいかないとかは、酷な言い方かもしれませんが、提供しているもの自体(あなた自身)に価値がないということなのです。

ではどうやったら価値を提供できるのか?

次章でそのはじめの一歩をお伝えします。

2.好きを仕事にするはじめの一歩

GuyAntiqueGallery_MonkeyGame

先程、価値の定義を「知らない世界をみせてくれる何か」とお伝えしました。これを視点を変えて言えば、価値を提供するには知らない世界を見せてあげればいいわけです。

もしかしたら「知らない世界なんて教えられないよ」と思ったかもしれませんが、未だかつて誰にも発見されていない世界があってそれを教えなくちゃいけない、ではないのでご安心を。僕らは世界のほとんどを知らないわけですし、あなたが気づいたことを気づいていない人はきっといて、それらを提供すればそこに価値を感じてくれる人が少なからず一人はいるはずです。

こんなことを言うと、「私が知っている情報はもっと実力がある人が教えている情報だし」と反論されるかもしれません。そんな時、僕は例として自分の幼少期のお話をします。

僕は小さい頃、キャッチボールのコツを教えてくれた父を凄いと思いました(価値を感じました)。相手のミットにうまく投げられない僕に「投げる際の目線」というコツを教えてくれ、その結果、思い通りの球筋を描いて飛んでいくボールに感動したのを今でも覚えています。もちろん、野球経験がない父より、野球選手のほうがきっとキャッチボールの教え方はうまいと思います。でも、僕と父との関係性の中で教わったキャッチボールのコツは僕の中で今でも価値あるものとして残っているのです。

それは僕は人見知りの子供でしたから、仮にプロ野球選手が教えてくれたとしても、知らない大人は僕にとって恐怖以外の何者でもありませんでしたので、きっと泣きじゃくってキャッチボールどころじゃなかったと思うんですよね。そしたら上達どころじゃなく、キャッチボール自体やりたくなくなるかもしれない。どんなにキャッチボールの教え方がうまい人でも、万人に対してそれが合うわけじゃないのです。僕にとってキャッチボールを教えてくれる人の価値としては、

父 > プロ野球選手

だったわけです。

自分には何の価値もないと思うのは錯覚なのです。

世界には無限とも感じられる可能性があるが故に、僕らは自分の存在をあまりにもちっぽけと感じてしまいがちです。だから「自分には何も価値がない」と思ってしまうのもわからなくはありませんが、先程もお伝えしたとおり価値がないのは錯覚だし、もし価値がないと思うなら今からでも価値を作ればいいじゃない、というのが僕からの提案です。

とは言え、漠然と「価値を作って下さい」と言われても困ると思いますので、価値を作るはじめの一歩をお伝えします。それは

身の回りのものにこだわってみる

です。あなたが聖人でないことを仮定してお話ししますが、人間誰しも物欲はあるはずです。「あれが欲しい」「これが欲しい」と。まずはそこに「徹底的」にこだわってみて下さい。

「俺は徹底的にやるからね。
 ウチの猫は吐くまで食うけど、それと同じ。吐くまでやる!」(所ジョージ)

所さんのライフスタイルに憧れる人は多いかと思いますが、その多くが憧れだけで終わってしまうのは、この拘りがないからだと僕は考えています。

そして、好きを仕事にするはじめの一歩もここにあると考えています。

もちろん金銭的な理由でブレーキがかかることもあるでしょう。でもそこを外す努力はして下さい。

手取り25万円のサラリーマンにとって、40万円のオーダースーツ、4万円のオーダーシャツ、4万円のオーダーネクタイ、20万円の靴、50万円の時計は勇気がいると思います。でも一つずつで構いませんのでやってみて下さい。

勇気が必要だから人は学習をします。何が必要で何を知らなくてはいけないのか、と。そりゃそうです。普段は2万円のスーツを着ていた人が40万円ですから。損したくないですよ。スーツの勉強しますよね。その勉強したネタはスーツの意味を知らない同僚にとっては価値ある情報になるのではないでしょうか。

文化庁が平成20年に実施した国語に関する世論調査で調査対象の半数近くが1ヶ月に本を全く読まないというデータがあります。この結果を鵜呑みにするわけではありませんが、多くの人と話していて確かにそんな実感があります。そう考えると、スーツの起源やスタイルを知っていることは、価値ある情報になるのではないでしょうか。だって人はそんなことにお金を払ってまで(本を買ってまで)知りたいという発想に至らないのだから。

「そんな情報はWikiで調べればわかるし」

と思われたって別に構いません。だってWikiすら調べない人がほとんどだし、Wiki情報はあくまで情報が載っているだけで、そこには温度がありません。1章の言葉で言えば体現した情報ではないので、そこに価値はありません。

同じ風景でも写真だけを見た人の意見と、実際に行って見た人の意見、どちらに価値があるのか?
どちらの意見により人は惹きつけられるのか?

答えは誰の目にも明らかですよね。

そして、価値を提供する人は「これが価値になるだろう」なんて思っていません。その人が今まで拘り抜いたものが結果として人に価値を与えているのです。

・さかなクンは魚に拘った結果、今では東京海洋大学客員准教授です。
・寺門ジモンは肉に拘った結果、肉のセリに参加できる家畜商の資格を持ち、関連本を出版し自身の冠番組を持っています。
・カラテカ入江はコミュニケーションに拘った結果、プロモーターとしてIRIE CONNECTIONなどのイベントを開催しています。

僕らはついつい「まっいっか」となってしまう弱き人間です。僕が「身の回りのもの」と敢えて限定したのは弱い僕らだからこそ、せめて自分が気になる身の回りのものくらいには拘りをもちましょうよ、という意味を込めています。

無限と感じてしまうくらい世界は広いのに、気に入ったものと出会えるというのはある意味奇跡かもしれないじゃないですか。

だったらそれに対しては全力で拘りましょうよ。

ある人にとってはあなたの拘りが優柔不断とかケチとかに見えるかもしれないけれど、そんなの気にしなくていいですよ。僕なんてワーキングデスクとチェアーに半年間も拘って、まだ買ってませんからね。

まずは身の回りのものに徹底的に拘る。

その拘りはいつしかあなたの価値となるはずです。

それが体現ということなのだから。

2013年5月30日
山本 和広

追伸
今回は「自由」って言葉を使いましたが、きっと自由って僕らがイメージしているものとは全く違うと思いますよ。わかりやすくお金を自由の尺度として、年収400万円の人と、年収3000万円の人では社会における責任が違いますよね。つまりはそういうこと。
自由については別の機会で書きたいと思います。

追伸2
サムネイル及び文中で利用した画像は以下サイトからの転載です。

Guy Antique Gallery

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