大衆の反逆 〜2章 歴史的水準の向上〜

大衆の反逆

大衆の反逆
著者:オルテガ・イ・ガセット
訳者:神吉 敬三
発行:筑摩書房

-大衆の反逆 目次-

■第1部 大衆の反逆

  • 01章 充満の事実
  • 02章 歴史的水準の向上
  • 03章 時代の高さ
  • 04章 生の増大
  • 05章 一つの統計的事実
  • 06章 大衆人解剖の第一段階
  • 07章 高貴な生と凡俗な生-あるいは、努力と怠惰
  • 08章 大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか
  • 09章 原始性と技術
  • 10章 原始性と歴史
  • 11章 「慢心しきったお坊ちゃん」の時代
  • 12章 「専門主義」の野蛮性
  • 13章 最大の危険物=国家

■第2部 世界を支配しているのは誰か

  • 14章 世界を支配しているのは誰か
  • 15章 真の問題は何か

こんにちは。
山本です。

身体を大きくしようと筋トレに励んではや半年。大きくなるどころか体重が減っている事実に凹んだ日々を過ごしております。

新緑の季節柄、運動に勉強にと何かを始める人も多いかと思いますが、うまくいかなかった場合を考えておくことは大事かと思います。今じゃ一発屋どころか超売れっ子芸人の一人である彼もこんなことを言っています。

「タレントの多くは売れたときの準備はしておくくせに、売れなかったとき・売れなくなったときの準備はしない。」(有吉弘行)

何が言いたいのかわからない人もいるかもしれませんが(苦笑)、よしなにご理解下さいませ。

ではでは今日は『大衆の反逆』の第2章です。

1.要約

【2章 歴史的水準の向上 要約】
 民衆教育、経済繁栄後、大衆は19世紀には実感を持つことがなかった基本的人権、市民権を今では心の内で現実とし少数者と同様の生活分野を持つ。これは大衆の反逆の原因である歴史的水準の突発的上昇、平均化、つまり大衆の生命力、可能性の増加を意味する。

2.ちょっとの背伸び

 「わたしは、人間社会はその本質上、好むと好まざるとにかかわらずつねに貴族的であるといってきたし、また日ごとにその確信を強めている。人間社会は、貴族的である限度に応じて社会たりえ、貴族性を失うに従って社会たることを止めてしまうほど、貴族的なものなのである。

(『2章 歴史的水準の向上』から一部抜粋)

なんや難しく聞こえるかもしれませんが、オルテガが使っている単語の意味を一つずつ確認していけば恐るるに足らず。それでは確認してみましょう。

【社会】
社会的な生というものは、単に政治的であるにとどまるものではない。それは同時に、いや政治的である以前に、知的、道徳的、経済的、宗教的であり、いっさいの集団的慣習から服装や娯楽までをも含むものなのである。

【貴族】
自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々
(『1章 充満の事実』から一部抜粋)



意味を確認することでオルテガが言う「社会」は広義に解釈すべきだと理解でき、それ故、大衆要素をふんだんに持つ僕らが(笑)日常の生活に於いて貴族を意識する気概を持つことができるのです。

決して、「社会って言われたってそんなの政治家の仕事でしょ」とか「社長は『社会の利益が会社の利益。会社の利益が社員の利益』的なことを言うけれど、自分の仕事が社会の役に立っている実感ないし・・・」とか「株価が上がってきたから少しは給料あがるかな」ではなく、心理的事実で定義する貴族が社会を作る、という意味を僕らはオルテガから学ばなくてはいけないのです。

ではでは考えてみましょうか。

あなたはドレスコードがあるレストランに行ったことあるでしょうか?最近はスマートカジュアルというなんとも曖昧なドレスコードを要求してくるレストランも多くあるので困るときがありますが、要するに「ハーフパンツ、ビーサンお断り」的なレストランです。

ドレスコードは周囲へのエチケットですから、仮にどんなにお金を持っていようとも、その場に応じた装いができない人は白い目で見られてしまうわけですが、僕はドレスコードは貴族的な精神を持たない人には出来ないことだと考えております。

だってドレスコードってめんどくさいから。

女性はお洒落を楽しむ特権があり、そしてそのこと自体好きな人が多いと思いますので、そんなに苦ではないかもしれませんが、こと男性に関していえば「別に服なんてなんだっていいじゃん」と考えてしまう人が大半だと思うのです。

ですから「あのレストランは○○さんと行くし、HPで見る限りそこそこなお店だと思うから周りにいるお客さんもそこそこな人が来ると思うなぁ。だとしたら、いま持っている服で着ていけそうなものは・・・」と考えることは自分に圧をかけているのと同義であると僕は思うし、その結果、このレストランには自分自身に圧をかけた人達が集うのです。

「高級なレストラン」だから「貴族的な人」が集う

のではなく、

「貴族的な人」が集うから「高級なレストラン」なのです。

仮にですが、もしこのレストランが「短パン、サンダルOK」「席でのタバコOK」的な方針に変えたとしたら、当初に築いた高級レストランという社会は崩壊します(それはそれで新たな客層は呼び込めるのかもしれませんが)。だって貴族的な人はこのようなレストランに行かないわけですから。

僕らはついつい社会が一義的にあり、そこに人が集うと考えがちですが、実は全くの逆で、人が集うから社会が形成されるのであり、これは貴族意識が高い人が集まる社会であればあるほど、より多くの世界に影響を与えることができる社会を意味するのです。

「○○党は全くダメだな。嘘ばっか言いやがって!」
「今の経営陣はダメだよ。市場を全然わかってない!」
「親はわたしのことなんて全然わかってくれない!」

これは社会が一義的にあると思っているからこその感情なわけで、これではなんの解決、進展も生まないばかりか、むしろ後退が自明で、それは文句を言っている人がこの社会の構成要員であることを考えれば当然かと思います。

とは言え。

寝て起きたら突然100%貴族思考になっていた、なんてことはありえないわけですし、
「自らに多くを求め、進んで困難と義務を負う人」と抽象度が高い表現をされると何をしていいのかわからない人もいるかもしれません。もし何をしていいかわからないのであれば、おすすめは

自分が理想とする社会にちょっと背伸びして入ってみる

です。僕的には「ちょっと背伸び」がポイントで、いやだって仮にお金持ちになりたい年収400万円のサラリーマンがいたとして、そんな人がいきなり年収何億円もあるお金持ちに会えるわけありませんし、仮に会えたとしても、それは単に「会った」というだけで、そのサラリーマンの人生を変える出会いではないわけですよ。

ですから、僕らはいきなりの大ジャンプを目指すのではなく、まずはちょっとの背伸びから始めるべきだし、あなたが理想とする社会に近づく為には、自身がその理想社会に合う貴族にならなくてはいけないわけですから、この積み重ねしかやれることはないと思うんですよね。

社会の力を借りて(=自分に圧をかけてもらい)、次の背伸びする。

仲間がいると頑張れることってあるじゃないですか?それと同様に社会に属することで頑張れることもあり、一例ですが、皇居周辺を走るランナーなんて正にそれで、仮に一人で走っている人でも「皇居周辺を走るランナー社会」に属していて、その社会が走ることを求めてくるからジョギングが継続できるのです。

(チームスポーツやジム通いの経験がある人ならこの感覚わかってもらえるかなぁ。。。)

結局は人間は周りから見られているような人間になるわけですよ。いつもヨレヨレのスーツを着ていたらヨレヨレの人と見られるし、いつも文句ばっかり言っていたら愚痴が多い人と見られる。

ちょっとの背伸びは「風呂敷を広げる」と言ってもよいかもしれませんが、自分自身に圧をかけることにより、成長せざるを得ない状況を作ってしまう。自分的にはちょっと背伸びしてその社会に属しているのだけど、周囲からはその社会に属している人と見られるわけです。

だから、このちょっとの背伸びが、また次のちょっとの背伸びをもたらしてくれる。結果、あなたが理想としている社会に一歩ずつ近づいている。

「あの人は恵まれてていいよな」「あの人は才能があるから」ではなく、そういった人は必ずその社会に合う人間になるべく、ちょっとの背伸びをし続けているのです。

もし毎日同じことの繰り返しで、自分が目指すべき理想社会がわからないということであれば、僕と一緒に大衆の反逆を読みましょう!大衆の反逆を数行でも読むことは、ちょっとの背伸びに繋がりますから。



それではここまで読んで頂きありがとうございました!

次回は『3章 時代の高さ』です。

2013年4月13日
山本 和広

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