なぜ痩せられないのか?
こんにちは。
山本です。
僕ら現代人は何かに取り憑かれるように「痩せている方が良い」という概念に縛られています。例え「痩せているよりぽっちゃりの方がいい」という意見を多く聞いたとしても、多くの人が持つ「痩せたい」という根源的な願望が減るとは今のところ思えません。
確かに、自己規律なく怠惰にかまけた肉体を僕は美しいとは思いませんが、今日考えたいのは痩せている方がよい、太っている方がよい、という事ではなく、
なぜ人は痩せられないのか?
という事に関してです。で、あーだこーだいう前に僕が考えた結論をお伝えしてしまうと、結局
痩せる必要がないから
だと思います。「そんな身も蓋もない・・・」とあなたは思われたかもしれませんが、結局はそうだと思いませんか?もっと言ってしまえば、
痩せることが目的となっているから
痩せられないんですよ。僕の例で言えば、僕はスーツが好きです。その為、ある程度の体型維持が必要となるため、ジムに通い続けています(だって体型が変わる度にスーツを誂え直すなんて非経済的ですし、何より面倒くさい)。
- 目的 = スーツを着こなしたい
- 手段 = ジムに通い体型維持
ダイエットが続かない人(痩せられない人)は目的がダイエットとなってしまっているから痩せられないのです。「巻くだけで痩せる」「○○を食べるだけで痩せる」なんて流行が生まれるものそういった背景があるからです。
それに今の時代、正直痩せる必要ってないじゃないですか?寧ろ太ることを奨励されているような社会ですよ。カロリーが高い食べ物、便利な移動手段(=運動しなくてもよい)、24時間営業の飲食店、多種多様の服・・・何処を見渡しても「痩せろ」というメッセージは見当たりません。
そんな世の中で、わざわざ辛い思いをしてまで痩せる必要はあるのでしょうか?
それでも痩せる必要がある、とあなたが思うのなら、「太れ~太れ~」と誘惑してくるこんな社会ですから、やっぱり何か目的意識がないことには痩せられないと思いませんか?
当たり前のことです。ダイエット(痩せること)はあくまで手段ですからね。もし仮に「1ヵ月後に3kg痩せなかったら死にます」と宣告されたら、誰しもが必死でダイエットすると思います。ただ残念ながら、このような状況を多くの人は体験できないわけです。もし仮にこのような状況に置かれたとしても、「別にいいや」で済ます人も多いかもしれません。それは、
いま、ここ
を真摯に生きることができない、つまりは「死」を現実的に捉えることができないからです。千差万別の僕らに共通する経験、それが「死」であることは誰しもが納得のことだとは思いますが、如何せん「死」を現実問題として捉えることは非常に難しい。「明日死ぬかもしれないけれど、死なない確率の方が高いよね」という訳です。
僕自身も「いま、ここ」を十全に意識して生活しているかと問われたとしたら、やっぱり胸を張って言い切れません。ですが、それでも今を大切に、今できることに全力を出す、という意識はいつも持つようには心がけています。
「痩せなきゃ」「痩せたい」
と思うことは結構ですが、
「なぜ痩せなくてはいけないのか?」
の目的がなければ、決して痩せることはできません。当たり前のことですが、改めて考え直してみてはいかがでしょうか。
山本 和広