所ジョージと執着心

こんにちは。
山本です。

最近気になって気になって仕方がないものあります。大半の方には生活する上で全く必要なく、単なる自己満足の道具でしかないと思われている代物でしょう。かくいう私もそう思っていた一人なんですが、最近すごーく気になるんですよね。それは・・・

万年筆

です。しょーじき万年筆で文字を書いたことなんて片手で足りるくらいしかありませんし、僕は人に自慢できるような綺麗な字を書ける人物でもありません。ただ、最近文章を書く機会が非常に多く、実際にこの記事の下書きもノートに手書きで書いているわけです。このパソコン時代にノートの需要が減っていることはわかりますし、書くだけという効率を考えたら絶対にパソコンの方がいいとは思うんですが、それでも僕の中では文字を書くという行為はいろんな意味で必須行為となっています。なぜ必須とまで言い切るかというと、

自分の頭の中が整理でき、且つ、新しい知見が生まれる可能性が大きい

という点に於いて、僕にはパソコン(テキストエディタなど)より手書きのノートの方が向いていると自覚しているからです。ノートはパソコンと違い、自由度が大きいですよね。さっき書いた文章に加筆したい場合も、ノートだと空いている隙間に書けばいいだけですし、削除したかったら二重線でも引いて消せばいい。でもそれだったらパソコンだって同じようなことができるし、と思いました?もちろん結果だけをみれば同じなんですが、ただパソコンだとその足跡も消えちゃうんですよね。

それが僕にはちょっと向かない。

なぜなら、自分の思考順序を後から見ることによって、また新しい知見が発見できるケースを何度も経験しているからです。んーこれはなんとも主観的なことなのでお伝えしづらいのですが、あなたが今見ているこの記事もノートに下書きしたからこそあなたが目にしている今の形があるわけで、それはあくまで校正という作業ではなく、新しいコンテンツを生むという形で活かされている訳です。

そんなわけでしごく最近なんですが、折角ノートに自分のコンテンツを書き溜めているわけですから、テンションをあげるためにも、そして、今よりもよりよいコンテンツをお伝えできるようになるためにも、思考を現実に落とし込む作業に必要な紙とペン。主観を客観に変換してくれる紙とペンに拘ってみたいという情熱が生まれてきたのが、僕が今万年筆に興味がある理由です。

まだまだ万年筆に関しての知識は低いですが、ネットである程度調べましたので、実際に店舗に行って試し書きをしてきたいと思います。百聞は一見に如かず。自分に合った万年筆に出会えるといいな。もし「万年筆アドバイスしてやるよ。何でも聞いてくれ」っていう心優しい方がおられましたらこちらからご連絡下さい。よろしくお願いしまーす。

万年筆は任せろ!

ではちょっと前置きが長くなりましたが、本日の日常考察は以下からです。

1.執着心を捨てる勇気

正直に告白しますが、僕はモノに対する執着心が強い人間でした。

と、過去形で表現させていただきましたが、いま現在全く執着心がないかといわれればそんなことはもちろんなく、日々「なんで僕はこんなにもケチな人間なんだろう」と悩む事は多々あります。

それは、「ケチ=お金への執着」を自分の中で感じてしまうからです。

というか、この記事を書いている今、感じてしまっています。。。それはなぜかというと、今僕には欲しい鞄がありまして、遅かれ早かれその鞄は買うはずなんですよ。なのに未だに買ってない自分がいるのです。

その鞄メーカーは主にはネット通販がメインなのですが、僕が欲しい鞄は衝動買いするにはちょっとお高い金額なのです。そこでやっぱり実物を見て、納得してから買おうという事で、お目当ての鞄メーカーは実店舗も構えているということでしたので、わざわざ行ったわけですよ。で、実際見た実物は・・・ネットで見てイメージしていたものと違いはなく、大きさ、色、革質、文句なくイメージ通りでした。イメージ通りだったのですが・・・

買わずに帰宅

してしまった僕がいるわけです。どうせ買うなら早く買ったほうがいいわけですよ。当たり前ですよね?明日死ぬかもしれないのに、今買わないでどうするの?って事ですよ。でも僕はその鞄を持って出かけて重宝する「未来」より、お金が減ってしまうことに執着してしまった訳です。

うーん・・・。ある一定以上の金額になるとこういう思考がなかなか拭えないんですよね。それが今の僕であり、僕の課題なんですけどね。



そんな自分とは対象的に、僕の友人にはそういった思考がない人間がいます。ない、というと嘘になるかもしれないので、希薄といいましょうか。その友人は、

お金に対しての執着心が希薄

なのです。というのも彼の視点は「お金」ではなく、周りの「環境」にある、と一緒にいていつも思うからです。先日彼の買い物に付き合った時もそれを実感する出来事がありました。

その日は彼が勤めている会社先輩の結婚式に次週出席するとかで、新しいシャツとネクタイ、ベルト、靴を新調する付き合いでした。彼は「給料日前だから安いのでいいんだよねぇ~」といっていましたが、なかなか価格と折り合いが付く「これ!」といったものがなく、決めあぐねていました。そんな時に、僕が「折角の結婚式でしょ?これしたら」と“蝶ネクタイ”を冗談半分で薦めてみたところ、「これでしょ!」と即決です。実はこの蝶ネクタイ結構なお値段するんですよ。しかも色はピンク。尚且つ、気心知れた人の結婚式以外では絶対に着用できないような水玉ピンクです。でも値段なんてお構いなし。それもそのはず、彼の中には、結婚式で蝶ネクタイをして出席し笑ってくれる先輩の姿が目に浮かんだみたいでしたから(あわせて同僚も)。

そこで僕は畳み掛けるように、「蝶ネクタイならベルトではなく確実に“サスペンダー”が必要でしょう!」とこれまた冗談で言ったら「いいね!!!」と即決。サスペンダーなんて買ったことないのでどのくらいするのかわかりませんでしたが、これも結構なお値段です。それでもお構いなし。彼の中で、蝶ネクタイとサスペンダーと先輩と同僚と笑顔がシンクロしたみたいでしたから。つまり彼の内面では、

お金<環境

という図式なわけです。この即決を今の僕が真似できるか?というとやっぱり少し躊躇してしまうと正直思います。無難に普段でも着用できるようなネクタイを選んでしまう僕がいるような気がします。そういった点で僕はこの友人から学ぶことは多いです。

ちなみにこの友人の家族も皆そんな感じです。母子家庭ですので親は母親だけですが、お母さんもこういった考えです。というかお母さんが「お金<環境」だから息子も同じ思考なんでしょうけどね。僕はこの友人宅に結構な頻度で遊びに行くのですが、その度にかなりのご馳走が振舞われます。お母さんはすごーく料理が上手いので、出てくる料理全てが絶品。美味しいからこそ会話が弾み、夕食の時間を皆で楽しく過ごさせてもらっています。そしてこの友人と、友人の母親からは、

1つの事柄に執着しない視点を持つことにより、もっと大切な事に気づける

という事実を学ばさせてもらっています。だってこの友人の家庭にはいつも人が集まってきていますから。そういった場に多くいるからこそ、「お金<環境」が非常に大切だと身を持って経験できるわけで、僕も見習わなくてはと思う今日この頃な訳です。



話変わって。

あなたもご存知「所ジョージ」さんなんて、執着心の対極にいる人だと僕は考えています。

というのも、所ジョージさんていつも誰かにモノあげてません?番組の演出だから、という見方もできるかとは思いますが、僕にはそんなことよりも、所ジョージさんからは執着より環境を大切にしている姿勢というものが伝わりますね。

ちょっと想像してもらえませんか?もしあなたが大切にしている何かのコレクトアイテムを頂戴といわれたら素直にあげることってできますか?

僕らは多少なりともコレクターという癖を持って生きています。それが人によっては顕著に現れるものかもしれませんし、現れないものかもしれませんが、あなたにも必ずあるはずです。好きなブランドの洋服であったり、好きな漫画本であったり、好きなアーティストのCDであったり、車であったり、宝石であったり、・・・・まっなんでもよいのですが、それを素直にあげられるか?ということです。

でも所さんはあげちゃってる。なんの躊躇もなくあげちゃってる。ちょーだいといわれなくてもあげちゃってます。あれってモノが溢れかえっているから処分したいという見方をする人もいるかもしれませんが、僕はちょっと違うと考えています。詳細は後ほど説明しますが、まっ簡単にいえば「執着心」がないんですよね。モノに対する。

  • だから所さんは環境に敏感なんだと思います。
  • だから所さんは今でも芸能界の第一線で活躍できているのだと思います。
  • だから所さんは趣味に人が羨むほどのお金をかけることができるのだと思います。

これが僕が執着心を捨てる必要があると思う理由です。やっぱりどうしても何かに執着してしまうと、周りのことが見えづらくなっちゃうんですよね。特にモノに執着してしまうと、ことさら性質が悪い。だってやっぱり僕らは人間ですから、他者という存在を無視しては生きていけないわけです。ただでさえ排他思考に毒されがちな環境で生活している僕らですから、その落とし穴に気づかなくてはいけないわけです。

ただ執着心を捨てるのには勇気が必要です。特に自分の思い入れが強ければ強いほどに。あなたも自分自身に置き換えて想像してみてください。その1歩が如何に難しいか、勇気が必要かがわかっていただけると思います。だからといって諦めてはいけません。勇気を振り絞って行動する必要があります。だって、

モノはあくまでモノ(静)
ヒトはダイナミック(動)

僕らはダイナミックな事柄に日々目を向けなくてはいけないのです。だって毎日動いているわけですから、当たり前ですよね。この当たり前を忘れない一つのキーワードが、

脱執着心

というわけなのです。すごーく難しい。だけどやるだけの価値はある。そして、それがあなたの為に必ずなると僕は考えます。

ただここで1点注意してほしいことが。こういう内容を書くと必ず、

モノ→大切にしなくてもよい

という図式を導いてしまいがちですが、決してそうではありません。その違いに関しては次項で考察してみたいと思います。

2.「執着しない」と「大切にしない」は違う

モノに執着しないという事に関する考察を1項目目ではしたわけですが、決して誤解してほしくないことは、

モノを大切に扱うと執着心(愛着)が高まってしまうので、
モノを粗末に扱おう、ではない

ということです。執着心をなくしなんでもあげれる(または捨てれる)からといて、それ自体を大切にしないということではないんですね。以前どこかの記事でも書いたと思うんですが、あなたの身の回りのモノはあなたを映し出す鏡です。

例えば、ダルンダルンのTシャツってどう思います?決してお洒落には見えませんよね。どちらかというとだらしない部類に入ると思います。もし仮にあなたがそんなダルンダルンのTシャツを身にまとい外出していたとしたら、周りからはだらしない人とみられる可能性が高いという事です。つまり、ダルンダルンのTシャツが持つ印象が、あなた自信の印象となってしまうのです。

あとこれはあくまで僕個人の偏見かもしれませんが、長財布をジーンズなどのバックポケットに入れる人を

適応能力がない人

と見てしまいます。というのも、そもそも長財布はパンツのバックポケットに入れるものではないわけです。ジャケットの内ポケットやバックなどに入れるわけですから、全く不適応なわけです。で、こういう人に限ってそのまま座るから、長財布がぐにゃるわけです。こういった人は長財布が求めている環境とは違う環境で使う人ですから、適応能力がない人なんだろうなぁ~、もっと砕けて言うと“趣味が悪い”と僕は見てしまいます。

こういう話をすると必ず「外見で判断するな」的な意見を言う人を見かけますが、僕は外見は内面を反映していると考えていますので、すごく外見を重視します。ただ僕は何も高い服や小物を買えって言いたいわけではありません。それに、洋服などに興味がわかない人ももちろんいるわけですから、無理にお洒落を気取る必要もないわけです(興味がない人が頑張ると“痛く”なりますからね)。僕がここであなたにお伝えしたいことは、

あなたの周りのモノはあなたを映し出す鏡(外見は内面を反映し)なのだから、大切に扱いましょう

ということなのです。そして、あなたが周りのモノを大切にすることによって違う視点が得られることがあります。

それは例えば先ほどお伝えした僕が今買いたい鞄ですが、この鞄メーカーの商品を購入する人は大半が革に対してのマナーを心得ている人だと思います。革は雨に弱いとか、保管時の注意(カビ予防など)などある一定以上の知識がある人。なぜかというとこの鞄メーカーの商品を買う人っていうのは鞄が自分を違う高みに導いてくれるという事に期待して買っています。単なる荷物を詰め込んで持ち歩く道具としてはみていないのです。だから買ったら大切に自分のパートナーのように接する。

ちょっと大袈裟かもしれませんが、鞄というモノではなく、パートナーとして生あるモノとして接するっといってもいいかもしれませんね。
(あっちなみに余談ですが、もちろん鞄以外の商品もありますよ。財布とか、ブックカバーとか、キーケースとか)。

つまりこういう風にモノを大切にする人を知ることにより、モノを通じてヒトを知れるわけです。

「あっいい鞄持ってるな~。高いんだろうな~。お金持ちなのかな~」から
「あっいい鞄持ってるな~。大切に使ってるな~。きっと周りの人に対しても大切に接する人なんだな~」って。

表面的な事柄から、内面的な事柄への思考が広がるという事になります。ただここであなたは矛盾を感じているかと思います。

「執着しない」と「大切にする」はベクトルが180度違うのではないか?と。

そこでここでも所ジョージさんに登場してもらいましょう。所さんは人にモノをよくあげていますが、あげちゃうものに愛着がないのでしょうか?次から次へと趣味を広げて新しいモノを買うわけだから、1つ1つに愛着はない、と考えます?僕はそうは考えません。1つ1つに愛着(愛情)は必ずあると考えています。だって例えば所さんの趣味であるクラシックミニカーですが、綺麗にディスプレイしているじゃないですか。愛着がなかったらあんな高そうなディスプレイケースにいれませんよ。所有欲だけなら箱からも取り出さないと思います。所さんはクラシックミニカーが要求する最高級の場を提供しているわけです。愛情がなければできませんよ。

でもそんな愛情たっぷりのモノに関しても、所さんはすんなり人にあげてしまう(本当に大切なクラシックミニカーはあげないでしょうけど)。北野武さんが等々力ベースを作った際に多くのミニカーや模型などをそのままあげちゃったみたいですからね。

これがモノを大切にすることと、執着心をなくすことが両立できると僕が主張する理由です。

北野武さんの等々力ベースがかっこいいベースになれば、北野さんはもちろん喜んでくれるだろうし、その周りの環境(例えば、テレビを観る視聴者など)も喜んでくれる。だからまた新しい企画が生まれ、環境を充実させていく。そう、まさに、

正のスパイラルの完成

ですね。だから所さんは僕らが見ている視点ではなく、違う視点で多くの自由な発想が生まれているのだと思います(あくまで私見です)。もちろん、先ほどもお伝えしましたが、僕なんてまだまだです。ただ日々少しずつでも「モノを大切にする」と「執着心をなくす」を両立できるように努力することが、視界を広げることに繋がるのだと今は信じています。今日0(ゼロ)だったことが、明日100になることはありません。ただ今日0(ゼロ)だったことが、明日1でも2にでもなれば、いつかは100に近づけるのだろうと僕は思います。



最後に、「モノを大切にする」と「執着心をなくす」を1歩進めて考察してみましょう。僕はこの2つを実行することができると、新しい出会いが増えると考えています。言い換えると、

あなたとコアが通じ合う人と出会えるチャンスが増える

ということです。またまた所さんですが、所さんと北野さんって昔からあんなに仲がよかったでしょうか。確か同じ番組で司会などして気心知れた仲だったとは思いますが、週3回も北野さんが所さん家に遊びに行くほどの仲ではなかったと思うんですよね。

ただ何かのきっかけがあった。そのきっかけにより所さんと北野さんのコアが通じ合った。その結果CSではレギュラー番組がスタートし、雑誌も創刊、グッツも販売etc 新しいコンテンツが生まれ続けているわけですよね。うーん!ナイススパイラル!

ただこれはマイナスにも働きますからご用心。あなたがモノを大切に扱わなければ、同じような人が集まります。類は友を呼ぶ、なんてふわふわしたことを言わずとも、ここまで読んでくださったあなたならなんとなく気づいてくれていると思います。

よれよれのスーツを身にまとった人に対して、高級スーツを身にまとえるステージの人が真に語りかけてくれることはありません。

外見は内面を映し出す鏡なのですから。



以上、本日の日常考察でした。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

2011年2月14日
山本 和広

日常考察

  • モノを大切にしながらも、あなたの周りの環境を大事にする視点・姿勢が大切である。
  • 脱執着心は、あなたと同じコアを持った人との出会いのチャンスが増えることに繋がる。

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