無駄の中に光があると信じて

こんにちは。
山本です。

気づけば年末。毎年何処かしら聞こえる「今年もあっという間だったね」「1年経つのはやくない?」といった常套句。まー何にせよ無事新年が迎えられるようにお体にはお気をつけください。健康第一ですからね。

で、突然なんですがつい最近「自分の常識で世界を見てはいけない」を改めて認識させられた出来事に遭遇しました。それは友人と焼肉を食べに行った際に僕の隣で突然起きたのです。今回訪れた焼肉店は初めて行く店だったのですが、いつもどおりタンやカルビなどの肉類を注文しました。まっセオリーどおり肉類としてはタンが先陣をきって登場したのですが、その店のタンにはタンが盛り付けられている皿にすりにんにくとごま油を和えた薬味がのっていました。そして店員さんは「にんにくはお好みに合わせてご使用下さい」とだけ告げて去っていきました。うん。ここまでは特に問題なし。そして、一緒に行った友人は気心知れた仲ですので、お互いにんにく臭くなろうとこの点に関しても全く問題なしです。で、僕的には初めて入った焼肉店でしたので、肉の味に期待しつつ1枚2枚とタンを網の上に投下しているまさにその時!

友人が網の上ですりにんにくを焼き始めたのです!

「?」ですよね。また容易に想像できると思いますが、網なのですりにんにくは落ちる落ちる。でも友人はすりにんにくを一生懸命焼こうとしているのです(もう「焼く」というより「塗る」という表現の方が適切ですが)。僕は恐る恐る・・・

山本:「何してるの?」
友人:「え?にんにくいらない?」

んー。世界は広い。すりにんにくを網で焼こうとする概念は僕にはなかったですから。もちろん、この友人も後で勘違いに気づくわけですが、もし店員さんが「にんにくはお好みに合わせてタレに入れるか、タンに巻いてお食べ下さい」と告げたらこの概念が僕に植え付けられることはなかったと思いますので、省略してくれたことに感謝するのですが、それと同時に、言葉の重要さを改めて実感しました。だって、まさかこの店員さんもにんにくを網の上で焼く(塗る)とは思ってもいなかったでしょうから、詳しい説明を省いたのだと思います。でも実際に僕の友人にはその概念がなかったため起きた事件(もう「事件」と言わせて下さい)ですから、やっぱり自分の常識が他にも通じるというのは、傲慢なのだな、この事件を通じて改めて痛感させられたわけです。

僕もこの読書考察サイトを通じてあなたに伝えたいことを書いているわけですが、「これは書かなくても伝わるだろ」は僕の怠惰以外何者でもないわけですね。こんな日々のちょっとした出来事から新たな知見を手に入れられたことに感謝する今日この頃でございます。まーだからと言っちゃなんですが、そういった背景があるからこそ毎回毎回文字数が多くなってしまっていますが、その点はご了承頂きますようお願いいたします。

それでは、2010年最後の日常考察いってみましょー。

1.一夜漬けの魔力と限界

あなたも学生時代一夜漬けでテストに望んだことがあると思います。一夜漬けでテスト範囲を網羅して、優秀な点数をとる。僕はどちらかというとそういうタイプでした。今思うと一夜漬けという勉強方法はすごい魔力を持っているなぁ~と感じます。というのも、あの追い込まれた際の凄まじい集中力。今客観的に考えてもあの集中力が通常時に欲しいと憧れてしまうような能力です。だって一夜で英語の教科書100ページくらい丸暗記ですよ!今やれっていわれてもちょっとできないかな・・・(テストで高得点を取る、という目標を今は持つ必要がないので当たり前といえば当たり前ですが)。

ただ、一夜漬け勉強方法の残念なところは、「すぐに忘れる」という事です。もちろん100%全てを忘れるわけではないかもしれません。ですが一夜漬けではどんなに効率のよい勉強をしたとしても100のうち2、3残ればよい方だと思います。よって一夜漬け勉強方法は忘却が前提の勉強方法といっても過言ではないと思います。

でもよくよく考えればこれって当たり前ですよね?だって、テストで高得点を取る、という近視眼的な目標があっての勉強方法ですので、テスト終了後にその目標の更新する人はほとんどいないわけです。ですからもちろん、復習・反復もしない。そんな状況では僕ら凡人が10年20年と一夜漬けで得た知識を保持し続けることはできませんよね。

しかしその一時目指すものが近視眼的な目標であれば一夜漬けでも構わないのではないか?

とあなたは思われるかもしれません。まー考え方次第ではありますが、僕はその意見には反対です。というのも、一夜漬けでは自己のステージを押し上げることができない、正確にはステージを上る効率が悪すぎる、と考えているからです。

具体的にいうと、一夜漬けで得たアウトプットは中学1年生と高校3年生では違うという事です。要するに、

  • 僕らが得られるアウトプットは、その時の自分に依存する

ということです。これが僕が一夜漬けは効率が悪いと今思う根拠です。そりゃそうですよね。正負の足し算・引き算をやるステージと微分・積分をやるステージはやっぱり違うわけですから。では今の僕が考える一番よい勉強方法はというと、やっぱり

  • 毎日問題意識をもって取り組む

という方法以外ないと考えています。階段を1歩1歩上るイメージです。その上るスピードも人によって変わると思いますが、毎日意識することによってスピードをあげることは可能だと思います。ただここで注意しなくてはいけないことがあります。それは日々生きることは何かしらを「体験」することだと思いますが、「体験」は階段を上ることと同義です。つまり、何も考えずに生きているだけでも「体験」はするわけなので、自然と階段は上れるわけです。ですので、先ほどの例を引用すれば中学1年生も学年が上がれば(年をとれば)微分・積分までたどり着くわけです。ただこれでは効率が悪すぎますし、何しろ成長と呼べる代物ではないと僕は考えます。自己主体的に取り組むことが大切だということです。

また、僕はここであえて「体験」と記述しました。というのも「体験」は「客観的」なものであると思うからです。ここで重要なのは、「体験」から得た「経験」だと僕は考えます。「経験」は主観的なものです。僕らが共通に「体験」した出来事も「経験」に昇華する段階で「主観的」なものになる。この「経験」が階段を上るスピードを速めるのだと思うのです。

  • 体験=客観的
  • 経験=主観的

僕ら人間という生き物は易きに流れる怠惰な生き物です。不景気だのなんだのいわれていますが、毎日何も考えなくても生きていけるのが今のこの日本という豊かな国に生まれた僕らの現状です。だからといって、毎日無駄に日々を過ごし、飲み屋で会社の愚痴をいい、楽(と信じている)なことだけを実行していたのでは、決して自分が望むステージは手に入りません。結局「水島ヒロはかっこよくて、小説も書けて、才能ある人がうらやましい」で終わってしまうのです。

あなたが目標としている人は何か特別な世界で生きているのでしょうか?僕はそうは思いません。だって同じ地球で生活しているわけですよ。同じ空間で生きているわけです。ただ、その人たちは客観的体験を主観的経験に昇華するセンスが他より長けているのではないでしょうか。つまり、

  • 毎日問題意識をもって取り組んでいる

という点が、違うだけではないでしょうか。換言すれば一夜漬けとは正反対の「日々の積み重ね」が現れている結果だと僕は思います。僕は一夜漬けを否定することはしません。場合によっては一夜漬けで結果を出すということが求められることもあるでしょう。ただ僕があなたにお伝えしたいことは、

  • 一夜漬けで得られる結果は、今のあなたのステージ(知識)上での結果しかでない

ということです。一夜漬け勉強方法と1歩1歩ステージを上る意識(=日々の積み重ね)を上手に使いつつ、自己を成長させていきましょう。

2.語彙:増→世界:拡

先ほどはステージを上るといったちょっと抽象度が高い表現をさせていただきました。では実際の僕らの生活で考えた場合、具体的には何が必要か、ということをここではお伝えしたいと思います。

【言語が世界を形成する】

僕ら人間は社会的動物という位置づけで、社会の中で生活しています。たまに社会には自分一人しかいないというような振る舞いをする低俗な人間を目にすることがありますが、そんな人間はやっぱり社会からもそれなりのことしか与えられないわけです。それは当たり前の帰結であなたがもし横柄な態度をする人と接した時、全身全霊をもってその人に対して誠意ある対応ができるか、ということを考えていただければ明らかです。つまり、僕らは

  • まず社会があって、僕らがある

という枠組みの中で生活しているわけです。そんな社会という枠組みで重要な要素の一つが

  • 言葉(言語)

という概念です。以前ソシュールの言語哲学を紹介したことありますが、今回も同様です。事象があって言葉を規定するという考え方から、言葉があって事象を規定するという概念を考慮すると、僕らの世界は言語で形成されていると、換言してもよいのではないでしょうか。もちろん、この考え方にも多くの反論はあるかと思いますが、ただこの考え方を抜本的に覆すような反論がないのであれば、この考え方を取り入れて多くを思慮するとこは有益だと僕は思います。

そこで、ちょっと簡単な例をあげさせてもらいますが、

「ここにリンゴがある」

「ここに無農薬で作られ“奇跡のリンゴ”といわれ、都内の三ツ星レストランでも使用され、今では入手困難なリンゴがある」

ではどちらの方がそのリンゴの世界を描写していますか?ということです。断然後者ですよね。また他の例として海外旅行などで悔しい思いをした方もいるかもしれません。それはやっぱり自分が伝えたいことが伝えられない(語彙が少ない)歯痒さゆえの悔しさなのです。

ちょっと余談となりますが、そう考えると外国語の勉強方法はやっぱり基本に単語量(=語彙)を増やす勉強が一番近道という事に気づくと思います。よく発音やらヒヤリングやらが重要と洗脳している塾も多いかと思いますが、言語が世界を作るという概念を持っていれば、それに振り回されることはないのではないでしょうか。もちろん、その単語がもつ表面的な意味と、その単語が使われる場合の感覚を同時に養うことが大切という事はいうまでもありませんが。

閑話休題。

ここまでで明らかなように言葉を知らないより、多く知っていたほうがあなたの可能性(=世界)を広げるということは理解していただけたかと思います。では実際に僕が世界を広めるために行っていることをここでご紹介します。まっ紹介といってもそれほど大それたものではないのでちょっと恥ずかしいですが。。。それは、

  • 言語を大切に扱う

ということです。こんな読書考察というサイトを立ち上げているくらいですから、僕は読書に重きを置いているわけですが、実は僕が所有している本の多くは僕の現状の実力からは背伸びしすぎている本がほとんどです。その為、尋常なないくらい読むスピードが遅いです。というのは、まず単語がわからないのです。だからといって外国語ではないわけです。書かれている言語は日本語なんですよ。これが悲しいことに。でも普段接することはないであろう単語のオンパレード。じゃ辞書で調べればいいじゃない、ということで電子辞書を常備して常に調べながら読んでいるんですが、ただ、辞書はあくまでその言葉の通常の意味が記述されているだけで、作者が本当にその意味を用いているのかは文章全体、もっといえば作者の問題意識を汲み取らないとわからないわけです(究極的には作者の意思を100%汲み取るのは不可能です)。だから全然読み進まない訳です。

合わせて僕は読書をする時は同時にメモを取りながら読み進めます。それはノートであったり、本そのものであったりその時々に応じて違うわけですが、そうやって読み進めないと、結局文字面だけ読むという、読書とは程遠い事態となってしまうのです。この読書方法は時間はかかるけど僕は必要な事だと考えています。

ただこの読み方はあまり理解されない方が多いです。最近知り合いに同じことを伝えたら「めんどくさ」で一蹴されました。その方も読書は好きみたいですが、そんな時間のかかる読み方は面倒だとの意見でした。しょーじき僕的には「じゃ本を読む意味ないじゃん」と思ってしまうのですが(まっ娯楽として読むのであればそれでもよいのですが)、まっこの方には理解されない、時間だけを浪費する「無駄な読書方法」と思われたわけです。もちろん、無駄だとは思わないっていう他の人もいましたが、決してその方法を自分がやろうとは思わない、ともいってました。つまりは面倒なんでしょう。

ですので、読書考察というサイトを作っているくらいだから、あなたは僕がめちゃくちゃ本を読んでいる、と思わたかもしれませんが、実際の僕の読書ペースはめちゃくちゃ遅いです。でも僕はそれでいいと思っています。というのも無駄だと思われがちなこの読書方法のおかげで、ちょっとではありますが今までとは違った角度で世界を見れていると実感できるからです。

とはいえ、正直に告白すると僕自身何度も虚無感に襲われることもしばしばです。だっていっぱい勉強しているつもりでも、すればするほど読めないんですから(泣)。でもそれでもいいんです。この無駄だと思える中に僕の信じる自己成長があると今では確信出来るからです。そして、それと同時にこんな拙い文章をここまで読んでくださっているあなたと一緒に同じ景色をみれたら、もっと世界は面白くなると今では本気で考えています。

昔よく読んだ成功哲学系の本や、流行のビジネス書などは、すごーくためになるありがたいお言葉を教えてもらえたのは事実ですが、僕自身どこか納得できないところがありました。書かれている内容に関して抽象度が高すぎるというか、地に足がついていないというか。簡単に言えば「わかったような、わからないような」って感じです。僕らはこの現実に生きているわけですから、地に足をつけた知識を知り学ばないことには、抽象度が高い概念を理解できるはずがありません。そこで今の僕が考える一つの帰結が、

  • 言葉が増えると、世界が拡がる

ということです。右向け左じゃないですが、人と同じ事をしていたら秀でたものは生まれ出てきません。人は易きに流れるもので、この時代ほんとに易きものが溢れかえっていて、僕らを四六時中誘惑してきます。ただその誘惑を断ち切り、折角生まれてきた今のこの人生を豊かに、そしてより善く生きるために、またあなた自身だけではなく、あなたの周りの人も幸せにするために、まずは自己自身を成長する努力を怠らないことがどれほど重要な意味を持つかを1度深く考えてみてはいかがでしょうか。

  • 無駄の中に光(=意味がある)があると信じて

新年を迎えるにあたって、あなたも新たな目標を立てると思います。気持ちをリフレッシュするという意味では非常によい時期です。七草粥をたべることに「あれ?今年の目標ってなんだっけ?」とならないように、無駄の中にも光があると信じて、一度思考してみてください。

以上、2010年最後の日常考察でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。

2010年12月30日
山本 和広

日常考察

  • 易きに付くことを拒み、無駄の中にこそ得るものがあると信じ実行することが知性を高める一つの方法である。
  • 語彙を増やすこと。それが可能性の枠を広げることに直結する。

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