積み重ねた人間の態度

こんにちは。
山本です。

遅ればせながら、最近RSSの便利さにようやく気づきました。いや~楽チンですね。欲しい情報が一気にフィードされるあの快感。けっこう病み付きです(笑)。もちろん、情報の波に溺れないようにフィードされた情報を客観的にみる努力を怠らないことが重要ですけどね。

では、早速本日の日常考察いってみましょー。

1.やる気はあるが、評価されない人

あなたが今まで接してきた人の中で、少なからず1人や2人はこういう人いませんでしたか?例えば、職場などで一生懸命やっているんだけど、その仕事内容が全く評価されない人ってやつです。まー評価されないだけならまだましかもしれません。僕は一生懸命やっているのに、クレームを受けてしまった人を知っています。

さて、では実際にこういった現象はなぜ起こるのか?考察してみましょう。

便宜上、先ほどの例を引用します。その人を仮に佐藤くんとして、佐藤くんはあるプロジェクトの導入責任者に抜擢されました。佐藤くんはその業界で4年ほど経験を積んでいて、ある程度知識も経験もあります。そのプロジェクトは他会社(パートナー会社)と共同で行うプロジェクトで、佐藤くんはパートナー会社責任者(仮に菊池さんとしましょう)と密に連絡を取り合い、打ち合わせを実施していました。

ここまでは、特に問題はありません。佐藤くんは初めて任された責任ある仕事を一所懸命に頑張っていました。休日出勤もし、平日は遅くまで残業。傍から見たら頑張ってるなーと誰もが認めてもおかしくない状況です。ただ、突然菊池さんから「担当者を変えてくれ」との連絡が入りました。その理由は、

彼(佐藤くん)がつくる資料があまりに完成度が低い

という理由からでした。よくよく話を聞くと、出てくる資料、出てくる資料、意味がわからないとの事でした。意味がわからない、というのは、もちろん言語が読めないという意味ではありません。資料は全部日本語ですから。日本語で書かれた資料なのに、内容が何を意図しているのか全くわからない、というのがその背景だそうです。何度指摘しても一向に直らず(直す態度も感じられず)、菊池さんはその資料の添削に追われ、これではプロジェクトは成功しない、と判断したための打診だったようです。

僕も何度か佐藤くんの文章を人伝に見せてもらったことがあります。佐藤くんがつくる資料は外面は「資料」って感じなんですよ。きちんと章立てして、段落も規則統一されていて、一見はビジネス資料の体裁は整えている印象を与えます。だた、肝心の内容に関してびっくりしたのを今でも覚えています。中学生でももっとまともな文章書けるでしょ?っていうくらい、内容が迷子になっているんですよね。

以前、人間の行動の背景には必ず意図がある、といった記事を書きましたが、それと一緒です。資料はその資料を読んだ人に「何か」を伝えたい・してもらいたいから書くわけですよね。でないとその資料の存在価値はありませんから。なのに、佐藤くんの文章にはそれが見当たらない。なにも訴えかけてこないのです。菊池さんは「彼(佐藤くん)の資料は単なる彼自身のメモ帳だ」と辛辣な意見を仰っていました。

この現象を僕は、一側面でしかベクトルの方向を考えていないから起きる現象だと考えました。

先にも書きましたが、佐藤くんはこのプロジェクトを本気で頑張っていました(あくまで伝聞ですが)。やる気という一側面では最大のベクトルを向けていたと思います。ただ、やっぱり仕事というのは、他者がありきです。他者とのコミュニケーションのツールはやっぱり言語となるのは周知の事実だと思います。その言語がうまく伝わらない、所謂ディスコミュニケーションというやつですが、それではやっぱりうまくいくわけないですよね。

コミュニケーションという側面では、ベクトルが全く逆の方向に向いていたというわけです。

ただ、ここで僕は「仕事には高い文章能力が必要」とかいいたいわけではありません。もちろん、拙い文章より、巧い文章の方が良いとは思いますが、それはあくまでテクニックです。そんな上っ面のテクニック論をわざわざ伝えたくて、この記事を書いているわけではありません。僕があなたにお伝えしたい真意は、

全ての事柄に真摯に向き合う態度が結果に反映する

ということです。実は佐藤くん普段は仕事の愚痴ばかりいう人間でした。常に大衆的な考えばかりをしている人間と換言してもよいと思います。そんな佐藤くんは今回のプロジェクト以外に対して、真摯に向き合う態度が欠落していたのではないかと僕は推測しています。結局、意識が自己に向いている利己主義的な人間は、他者への配慮が欠落します。自分さえ満足できればいいわけですからね。それでは、やっぱりプロジェクトを一緒にやる人間は辛いですよね。別に文章が下手でも、語彙がしょぼくても意識が外(他者)に少しでも向いていたら、そんな迷路になるような、もっといえば、菊池さんを怒らせるような文章にはならなかったと思います。

文章って人となりが必ずでます。一夜漬けで文章テクニックを覚えたとしても、それはあくまで上っ面だけのテクニック。その文章の根底にはやっぱりその人の人間性がでてしまう。そうなると、人間性を一夜で変えることはできませんから、日々全ての事象に対して真摯に向きあう態度の蓄積が人となりとして反映してしまうのではないかと、佐藤くんの話を聞いたときに僕は思いました。そしてこれが、「やる気はあるが、評価されない人」がいる理由の一つだと、今の僕は考えます。

その後の佐藤くんの成り行きを僕は聞いてはいませんが、彼のあの資料を読むかぎりでは、プロジェクトから外されたと思います。もちろん、今できなくても、その経験をもとに成長してくれればいいんですけどね。

2.内面の向上

では実際に真摯に向き合うとはどういうことかを一緒に考えてみましょう。といっても考えるまでもないというのが僕の率直な意見です。というのも、やっぱり日々生きている中で常に考えながら行動すること、それが真摯に向き合うことだと考えているからです。

自分には関係ない、とか、それって意味あるの?、とか、否定的なことは一切考えず、誰になんと言われようと自分の人生に対して真摯に向き合う努力をする。あなた以外の全ての人・モノに対しての、自分の在り方を問う。そういう視点はやっぱり人間生活をする上で必要な土台になるのではないでしょうか。

例えば、

  • モノを粗末に扱う人をあなたが見かけたとします。どういう印象をもちますか?
  • タバコをポイ捨てした人を見かけたとします。どういう印象をもちますか?
  • レストランの店員に対して横柄な対応をする人を見かけたとします。どういう印象をもちますか?

ということです。人間はちょっとした瞬間の行動・言語にその人となりが表れます。その瞬間がその人の評価を決めてしまいます。評価なんかいらないよ、って言う人でも、人間1人では生きていけないことを気づいてください。より善く生きるには、自身もより善く向上していくしか方法はありません。その方法は、

内面の向上

しかないと僕は考えています。あなた自身の内面を向上させることが、仕事・プライベート・家族・恋人などの関係の全ての土台の充実に繋がり、より善い関係を築けるということはあなたも直感でわかっていただけたのではないでしょうか。

もちろん、この態度は一夜漬けで手に入るものではありません。学校のテストならそれでもよいですが、我々の人間活動には正解はありません。正解がない世界で生きているわけですから、少しずつでもよいので、日々内面を向上させ自分自身を高めていくしか方法はない、それこそが僕らの可能性を広げるきっかけとなる、と今の僕は考えています。

以上、本日の日常考察でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

2010年11月27日
山本 和広

日常考察

  • 何事にも真摯に向き合う姿勢。それこそが、人間活動の可能性を広げることに繋がる。

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