森永卓郎と色眼鏡

こんにちは。
山本です。

突然ですがあなたはF1が好きですか?
つい先日行われた日本GP。僕は毎年日本GPを見に行くのですが、今年は久しぶりに興奮しました。というのも小林可夢偉が世界中のF1ファンを魅了してくれたからです。あのオーバーテイクシーンにはF1に疎い人でもびっくりしたのではないでしょうか。僕が観戦していたのは最終コーナー立ち上がりからホームストレートにかけての席でしたから、可夢偉のオーバーテイクシーンを生では見れないのですが、鈴鹿サーキット設置の液晶ビジョンに可夢偉のオーバーテイクシーンが映る度に会場が盛り上がること盛り上がること。いやーホームグランプリで日本人が活躍してくれると素直に嬉しいですよね~。昨年までは張り切ってメインスタンドチケットを購入し観戦した割には盛り上がりに欠ける日本GPでしたので、今年もあまり期待はしていませんでした。期待していなかった分そのギャップの振幅に感動させられてしまいました!レース観戦後「もっといい席を取ればよかったなぁ~」と後悔してしまいましたしね(苦笑)。まっチケット取ったのが前日(10/9)でしたので致し方ないですけど(笑)。

それでは、小さい頃は全く興味がなかったF1にある日突然興味がわいてしまった事に感謝しつつ、本日の日常考察いってみましょう。

1.森永卓郎という人物

結構有名な方ですので知ってますよね?あのずんぐりむっくりの経済アナリストのおっちゃんです。一昔前に『年収300万円時代を生き抜く経済学』という本を出版してから、メディアにひっきりなしに登場しています。流行り廃りの速度が尋常ではないここ最近のテレビ業界で、これだけの期間出演し続けているのは売れっ子経済アナリスト(タレントといってもいいかも)と言わずして何といいましょうか。全国での講演や複数雑誌への記事掲載など、かなりの仕事をこなしていてここ8~9年は全く休んでいないそうです。あさ6時から24時まで働き続けていると仰っていました。

さて、そんな森永卓郎という人物にあなたはどんな印象を持っていますか?経済アナリストという肩書きを謳ってはいますが、最近は本業より彼のユニークな個性が目立っているのではないでしょうか。例えば、

・オタク知識
・ミニカーコレクション
・食玩収集
・有名人のサイン入り名刺収集
・フィギア収集
・松田聖子ファン
・アニメ好き
・自分のコレクション展示の為の博物館設立

などなど。経済アナリストとして出演はしているのでしょうけど、こういった特異なキャラクターを遺憾なく発揮していますから、僕らはどうしてもそちらにばかり目がいきがちです。正直僕も森永卓郎という人を経済アナリストとしては見ていなかったと思います。単にオタクキャラのタレント知識人でしょ、くらいの認識でした。ただ最近はそんな彼を、

  • 専門家ではなく「なんでも屋」

という目で見る様になりました。それは彼があるラジオ収録をしている映像を見たからです。彼はラジオ収録を立て続けに15本~20本収録するのですが、それが全てアドリブなんですよ。お題だけ用意され、指定された時間通り(確か3分くらい)に収録する。でもこれくらいならメディアに慣れた専門家なら出来ることでしょう。僕が注目したのはそのお題です。勿論軸は経済なんですが、時には経済と恋愛・日常生活・落語・エロなどを織り交ぜた内容で収録していたのです。これこそ、彼を専門家ではなく「なんでも屋」だと思ったきっかけです。

そして、彼が注目されている一つの理由に経済政策に対して強烈な意見を述べる点があります。「私を日銀総裁か財務大臣にしてくれたら、半年で景気回復させます。もし出来なかったら死刑になってもいい」といった発言や、竹島問題に関して「韓国にあげればいい、都内だって外国の投資ファンドに買われている」とか、自衛隊問題に関しても「どっかの国が攻めてきたら黙って殺されちゃえばいい。だから自衛隊はいらない」など。これらに関しては森永卓郎という経済アナリストの意見という印象だと思いますが、その一方、婚姻率低下に関して「イケメン税」などを導入しろ、と発言したり、野球・バスケットボールの独立リーグに関して「プロリーグの乱立が競技レベルそのものの低下を招きかねないからいらない」など、一見突拍子もない事を発言します。こういった発言は世間から距離を置かれてしまうこともあるかもしれませんが、まずこんな意見をいえること自体が「なんでも屋」である証拠なのです。

辞書で「専門家」と調べると「特定の職域に精通し専門的な知識と能力のある人のこと」と記載されています。僕らは経済アナリストと聞くと“経済という小難しいものをすごーく詳しく知っている人”と認識します。しかしですよ。僕は専門家は正直誰でもなれると思うんですよ。極端な話ずーっと同じことばっかりやってればいいわけですから。経済が苦手でもなんでも、30年も40年もずーっと続けていけば、経済専門家になれると思うんですよ。というか、それだけやってればバカの一つ覚えですから、勝手に専門家と呼ばれると思いません?釘を打つのが苦手でも、ずーっと打ち続けていれば上達もするでしょうし、技術も向上するでしょう。それはもう立派な大工職人(専門家)ですよ。それと一緒。でもそれだと、その分野に関しての「ふかーい」話はできるでしょうけど、結局はその知識だけで終わってしまうと思うのです。つまり「狭くて深ーい穴」とでもいいましょうか。

方や「なんでも屋」はどうでしょうか。言葉どおり「なんでも」も知っているわけです。勿論この世の全ての事象に関して精通することは不可能だと思いますが、それでもなんでも屋は“ある程度”を“どの分野”でも、“専門家に近い”知識で話すことができます。あなたのそばにもそんな人いませんか?なんかよくわからないけど、どんな話題にもついてこれる人。これって、先ほどの例えを再度使うと、

  • 程ほどに広く、程ほどに深い穴が無数にある

そして、

  • その穴同士が横穴で有機的に繋がっている

状態とでもいいましょうか。つまり、森永卓郎は「経済」という穴と、「オタク」という穴(もちろんその他の穴も)が有機的に繋がって、森永卓郎というユニークな人柄・知識を形成しているのです。もちろん、専門は「経済」ですからそれを軸にした有機的なつながりでしょうけど、「経済」しか専門としていない人よりも、より面白く、奇抜な発想が生まれているのだと思います。だからこそ、タレントという要素でもこれだけ長くメディアに出続けられるのではないでしょうか。

先ほども聞きましたけど、あなたの身近にもいますよね?こういうなんでも屋っぽい人。どんなジャンルの会話に於いてもある一定以上の話ができ、そして、話が出来るだけではなく、話題を盛り上げちゃう人って奴です。これってやっぱりなんでも屋の特長で、その人が持っている知識が有機的、且つ、瞬時に繋がって会話を構築しているからこそできる芸当です。そりゃ周りの人がほっときませんよね。だって僕だったら、同じ話をずーっとする人よりも右からも左からも下からも上からも話題をだしてくる人と一緒にいたいと思いますもん。

  • 専門家となんでも屋。あなたならどちらに魅力を感じますか?

もっといえば、

  • 専門家となんでも屋。あなたはどっちになりたいですか?

2.色眼鏡は未来の可能性を狭める

ひょんなきっかけから森永卓郎の経済に対する信念を知る機会がありました。その信念は、

  • まじめに生きている(仕事している)のに、きちんと生活できない世の中はおかしい

というものでした。彼は「仕事」を人生の重要なファクターとし、世の中には無駄な仕事はないと考えています(人を騙すような仕事は例外として)。そして、まじめに仕事をしているのに生活を満足におくるだけの給料をもらえないような社会はおかしい、というのが彼の主張です。また、お金持ちは楽してお金儲けをしよう、という発想が根底にあるから嫌いだ、とも考えています。かなり簡単に書いてしまいましたが、森永卓郎さんはこのような信念を持っている人です。

ここで僕は森永さんの信念が正しいとも間違っているともいいたいわけではありません。僕が森永さんの信念から感じ、そしてあなたにお伝えしたいことは、

  • 人の行動の背景には必ず行動理由がある

ということです。経済アナリストではなく、テレビタレントとして認知度があがっているかもしれない森永卓郎。そんな彼はやっぱり経済アナリストとしての確固たる信念があるからこそ、メディアへの露出・全国での講演を行っているのだと、改めて感じることができたわけです。彼の言動・行動には彼なりの信念(正義)があるわけです。先ほどお伝えしたあの突拍子もない発言も彼なりの信念(正義)があるからこその発言です。異端を怖れずいいたいことをいう。自分の信念(正義)を通すために。

そんな森永卓郎という人物をあなたはどう評価していましたか?

“評価”なんていうと上から目線のちょっと偉そうなイメージになりがちですが、要は「森永卓郎って好き?嫌い?」ってことです。普段僕らは何気なくこんな判断を下して生きています。何もテレビに出ている人に対してだけではありません。あなたの身近にいる人に対しても軽い気持ちで、特に何も気にもせず、こんな判断を下していると思います。ただここで1つ注意してもらいたいことがあります。それは、僕らは、

  • 自分の価値観(色眼鏡)を通して外の景色を評価している

とういことです。どんなに客観的に外の世界を見ようとしても、ロボットにでもならない限り主観を外して外の世界を見ることは難しいと思います。だって僕らは人間だもの。つまり、色眼鏡を通してしか世界を見れないということです。ただ、その色眼鏡の存在を忘れて物事を判断してしまうと、その時点でその認識対象の可能性、ひいては自分の可能性も閉じてしまうと今の僕は考えています。

あなたが絶対に無理だと思うことも、実現している人は必ずどこかにいるのです。もしかしたら、その実現可能な人はあなたの身近な人かもしれませんよ。例えば、F1レーサーになんか絶対になれっこない、とあなたが考えていても、実際にF1レーサーはいるわけで、自分の息子がF1レーサーになれないとは限らないわけですよね。そうつまり、

  • 自分の色眼鏡で他人を決め付けるのは傲慢以外のなにものでもない

のです。また、自分の色眼鏡でしか他を判断できない人は、自分自身の可能性をつぶしているという事実を認識する必要があります。もしかしたらあなたが卑下した人が実は将来あなたにとって重要な人物になっていたかもしれないという可能性をつぶしてしまうからです。その人はあなたの仕事にとって重要なパートナーになったかもしれません。あなたとあなたにとって重要になるであろう人物を結び付けてくれる人になったかもしれません。もちろん、可能性はどっちに転ぶかわかりませんが、それでもつぶしてしまったらどちらにも転ばないわけです。「あーあいつ私の近くにいた奴だったなー」では遅いのです。

先ほどもお伝えしましたが、僕らはどう頑張っても自分の色眼鏡をはずして外の世界を見ることは出来ません。見ることは出来ないけれど、色眼鏡の色の濃度を落とし、色眼鏡をかけている、という認識を持って世界を見るのと見ないのでは雲泥の差がでます。僕は誰しもが必ず持つ「行動の根底理由」という大切なことを忘れてしまっていました。森永卓郎という経済アナリストを通して再度それを認識できたことは一歩可能性の扉を開けたと考えております。

  • 色眼鏡をかけて世界をみている

という認識をあなたと共通に持てたらこれ幸せ。

それでは、拙い文章でしたがここまで読んでいただきありがとうございました。
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2010年10月22日
山本 和広

日常考察

  • 僕らは色眼鏡を通してしか他世界を見ることは出来ない(100%客観的に見ることは難しい)。
  • それを踏まえ、自分のものさしで他人を量ってはいけない。

コメント


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