ここがロドスだ、ここで跳べ!
こんにちは、山本です。
「花屋の店先に並んだ いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね」
40歳オーバーの国民的アイドルが歌う国民的大ヒット曲。
「受験戦争」という言葉が当たり前の時代に育った僕らには
「僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」
がすーっと心に染み入った結果の大ヒットだったのかもしれません。
でも、僕らはどうしても人と比べてしまいます。
碇シンジばりに「比べちゃ駄目だ、比べちゃ駄目だ、比べちゃ駄目だ、、、」と思えば思う程比べてしまう不思議。
そうして比べた結果、自信を喪失し何もせずに時だけが過ぎる。
もしあなたが、そんな自分に嫌気がさしているならば、こんな言葉をお伝えします。
ここがロドスだ、ここで跳べ!
イソップ寓話の『ほら吹き男』に出てくる成句です。
ヘーゲルが『法の哲学』で、マルクスが『資本論』で、それぞれこの成句を引用していたりします。
どんな話かと言いますと、ある男がギリシャ領のロドス島から帰り、
「ロドスで開かれた競技会で大跳躍をした。
嘘だと思うならロドスへ行って聞いてみな。」
と吹聴するが、これを聞いた男が
「それが本当なら証人はいらない。
ここがロドスだと思って跳んでみろ!」
と言い返したというものでありますが、この話が意味するのは「論より証拠」と言えると思うし、もっと深堀してみると
「今を生きろ!」
だと思うのです。
過去の実績なんて聞いてない、「いまここ」でお前の跳躍を見せてみろ!ってね。
「もう存在しない過去に苦しむ必要はない」と幸福論の著者アランは言いましたが、これは裏を返せば、それだけ過去に生きている人が多いとも言える。
過去の失敗を極度に恐れるあまり一歩が踏み出せない。
あなたもこんな経験を一度はしてますよね?
また「未来とは現在である。」とアメリカの社会学者のお偉いさんであるジョージ・ハーバート・ミードという人が言いましたが、これも裏を返せば、それだけ未来に生きている人が多いとも言える。
「3億円の宝くじが当たったらいいなー」と夢見るのは勝手ですが、それで「いまここ」は変わらないですよね?
結局、僕らが生きるべきは「いまここ」しかない。
秋元康とAKB48
AKB48のアルバム名に『ここがロドスだ、ここで跳べ!』が使われています。
秋元康さんがこれをどういう意味で使ったかは知りませんが、AKB48のコンセプトを考えると多分「今を生きろ!」なのかなと。
もう何百人いるのか定かではないAKB48グループメンバー。
日の目を見る人もいれば見ない人もいる。
人はつい前者にばかり注目してしまうけれど、月日が経てばAKB48を去っていくのは皆同じ。
人気メンバーだっとしても、名前も覚えられなかったメンバーだったとしても、卒業後の道中必ず「元AKB48とかはどうでもいいから『いまここ』で跳んでみろ!」と言われる場面が来る。
だから今人気があろうがなかろうが、「いまここ」で跳ぶことをやめてはいけない。
これは、AKB48メンバーだけではなく当然僕らにも言えることで、そんな意味を込めた『ここがロドスだ、ここで跳べ!』なのかもしれません。
翻訳家
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の指し示す意味が仮に「今を生きろ!」だったとして、秋元康は『AKB48』という文脈で引用しました。
その引用の結果、『AKB48』のアルバムを買った幾人かには「今を生きろ!」というメッセージが伝わったかもしれません。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の指し示す意味が仮に「今を生きろ!」だったとして、ヘーゲルは『法の哲学』という文脈で引用しました。
その引用の結果、『法の哲学』を読んだ幾人かには「今を生きろ!」というメッセージが伝わったかもしれません。
「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の指し示す意味が仮に「今を生きろ!」だったとして、マルクスは『資本論』という文脈で引用しました。
その引用の結果、『資本論』を読んだ幾人かには「今を生きろ!」というメッセージが伝わったかもしれません。
有名な洋書は複数の出版社から出版されていることがありますが、出版社が違えば訳も違います。
人によっては岩波の翻訳の方が読みやすい(=伝わりやすい)という人もいるし、新潮の方が読みやすい(=伝わりやすい)という人もいる。
そういう意味で、秋元康もヘーゲルもマルクスも翻訳家と言えるのではないでしょうか。
伝わる数は少なくていい。
秋元康の翻訳では、1万人に伝えることができた。
ヘーゲル、マルクスの翻訳では、1000人に伝えることができた。
仮にあなたが翻訳したとして、1人にしか伝えることができなかったとする。
その結果「やっぱり私には・・・」となるかもしれないけれど、そんなことは気にする必要はない。
だって、秋元康でもヘーゲルでもマルクスでも伝えることが出来なかった1人に伝えることができたのだから。
AKB48だって最初は数人のファンしかいなかったと聞きます。
ですので、伝わる“数”にフォーカスするのではなく、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」に意識を向けることが大切なことなのだと僕は思います。
ここまでありがとうございました。
山本
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