女子会の下世話から学ぶコピーライティングの基本。

こんばんは、山本です。

気がつけばクリスマスも過ぎ、
坊さんの忙しさもマックスとなる
年の瀬となりました。

「12月は僧侶が仏事で走り回る程忙しいから“師走”」
と教えられた記憶がありますが、実際に坊さんが忙しい様を
見たことない僕からしたら、

サンタがサーフィンをしながらやってくる南半球に
逃げ出したい気持ちしか湧いてこない年末の夜。

そんな寒夜ではありますが、今回は

「文章を書く上で気をつけるべき最初の壁」

についてお伝えしたいと思います。

と言うのも、

以前「Copywriting Circle」なるものを開催したのですが、
それに参加して下さった方の多くがこの壁につまづいているのを
目の当たりにしたからです。

ということは、この壁の前で悩んでいる人は結構いるのかな?と
思いましたので、その壁とは何なのかをお伝えさせて頂きます。

壁なんてもんは見えてしまえば容易に越えられるものですからね。

もし「わたしはブログもメルマガもやっていません」という場合でも、
今回お伝えする内容は「書く」に特化したものではなく「話す」にも
共通しますので、あなたが坊さん並みに忙しいとしても
お付き合い頂ければ幸いでございます。

それでは、よろしくお願いします。

1.セックスの愚痴から学ぶコピーライティング

クリスマスのイルミネーションが点灯し始める時期に、
僕はある女子会に参加しました。

僕が参加している時点で女子会とは言えませんが、
(たぶん)僕は空気として扱われていたので
参加した女性は女子会と認識していたのだと思います。

だって、下世話な愚痴のオンパレードだったから。

いちおうね、大義名分としては
「セックスレスについてのディスカッション」だったわけですが、
「ん?イタリアンレストランでディスカッション?」と
不思議な予感はしていたのです。

で、その不思議な予感は的中で、
トスカーナ産だがピエモンテ産だかは知りませんが、
赤や白やロゼ、スパークリングやスティルワインと
矢継ぎ早のオーダーに比例してただの女子会(食事会)へと
変貌を遂げていったわけです。

もしかしたらそんな状況を羨ましいと思われる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
ポツンと女の園に放り出された身としては
苦笑いしかできません。

ここではその苦笑いしかできなかった詳細は割愛しますが、
一言で言えば

「相手はわたしのことをわかっていない」

が、ワインの豊潤な香りよろしく
共通地平としてその場にはあったのです。

お酒を一滴も飲まない(飲めない)僕からしたら
その場は大変居心地の悪いものでしたが、
そのご褒美と言っちゃあなんですが、
とても素晴らしい報酬を獲得することができました。

どんな報酬かと言いますと、、、



・結局、人は自分が一番可愛い



を知れたこと。

女性にしろ男性にしろセックスに不満があるのはある意味
健全なことだとは思いますが、

その不満を相手のせいにしてしまう人が多いという事実を
僕は目の当たりにしたのです。
(もちろんそうじゃない人もいるかとは思いますが)

こういう愚痴を言う人を好きか嫌いかではなく、
そういう現実があることを知れると

『話を聞かない男、地図が読めない女』
を読むまでもなく僕らに周知の事実としてある、

「男と女の間には神秘とも残酷とも言える空隙がある」

を超え、

「男だろうが女だろうが、根底は同じなんだなあ、
 だって、人間だもの」

と、みつをを自分に重ね合わせることが出来るのです。



で、ここで、

「文章を書く上で気をつけるべき最初の壁」に話を戻すと、
「Copywriting Circle」に参加した多くの人は、



・「誰」に向けて書いているのか



という視点が希薄だったのです。

先程お伝えした「もっとこうして欲しいのに」
「独りよがりのセックスで満たされない」と
自分が可愛いばっかりに、不満を全て相手のせいにして、
ワイン片手に愚痴を言い合う女子会と同じで、

「誰」がいてこそ伝わる文章なのに、その「誰」を意識せず
自分の思いだけを書く人が多かったのです。

TwitterやFacebookならそれでもいいのかもしれませんが、
伝えたいことがある場合はいいとは言えない。

たまに街で一人ブツブツ話しながら歩いている人がいますけど
そういう人の話を自ら聞きにいきたいとは思いませんよね?

それと同じで、伝えるべき「誰」を無視した文章は
(当たり前ですが)伝わらないのです。



誤解している人も多いのですが、
僕らは小説家を目指しているわけではありませんので、
流麗な文章を書く必要はないわけで、

極端に言えば誤字脱字があっても文法的にもおかしくても
伝えたい「誰」に伝わればそれはそれでいいのです。

逆を言えば、「誰」さえきちんと設定できていれば、
好き勝手に書いていいということ。

人は「自分のために書かれた文章」は読みます。

「自分のため」という箇所に違和感があるのなら、
「自分が必要とする情報」と置き換えてもらえば
納得頂けると思います。

例えば、買いたいブランド靴があるとして、今でしたら
それに関する情報をネットで検索しますよね。

取扱店舗、価格、サイズ、種類、履き心地、メンテナンス、etc

玉石混合の検索結果だとしても、タブブラウザを駆使し
いくつものサイトをウキウキ気分でサーフィンします。

仮に、改行もなく画面横いっぱい文字で埋め尽くされた
読み手の視認性を完全無視したブログでも、
「自分が必要とするもの」なら人は読むのです。

これは極端な例だったかもしれませんが、すこぶる視認性がよく、
平易な日本語で書かれた文章だとしても、「誰」もいなかったら
伝わりません。

言われれば当たり前のことだけど、自分ごととなると忘れてしまう。

しょうがない、だって「人は自分が一番可愛い」のだから。

でもこういう自分がいるって意識するだけで文章は変わるものです。

結局、コピーライティングってのはコミュニケーションと言う名の
「思いやり」であるのですから。

2.今日のまとめ

それでは今日は、



・人は自分が一番可愛いと思っている。

・故に、文章を書く際には書く相手「誰」を忘れないこと。



をお伝えさせて頂きました。

コピーライティングを学んでも結果が出ないのは、
コピーライティングのテクニックにばかり傾倒し
根本(基本)を疎かにするからです。

樹木は、幹があるから、枝があり、葉が茂るのです。

テクニックは葉の部分です。

幹が小さかったら、生い茂る葉は少ない。

読ませる技術を学ぶ前に、一番大事な「誰」を忘れないで下さいね。

ここまでありがとうございました。

山本



追伸
「Copywriting Circle」では、音声教材の他に
こちらの本を教材として使用しました。

現代広告の心理技術101

コピーライティングを学ぶ上では秀逸な一冊となっておりますので、
もしご興味があれば読んでみて下さい。

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