美しい靴が僕らにもたらすもの。
シューホーンを使い恐る恐る靴に足を入れる。
「シュポッ」と靴中の空気が抜けると共に、今まで味わったことのないフィット感を体験。
高級靴を初めて履いたときのあの感動は忘れられないもの。
ただ、そんな感動の根も乾かぬうちに襲ってくるある種の拷問。
歩き始めて数分も経たずに待ち構えていた修行。
それは、、、靴擦れ。
親指の付け根、くるぶし、かかと、小指・・・
美しい靴を追い求める人が必ず通る試練でもあるとも言えます。
一般的に僕らは、「高級」と名のつくものに「comfortable(快適な,気持ちのよい)」を期待しますが、そんな期待を華麗に裏切ってくれるのが高級靴というものなのかもしれません。
「フィッティングをしくじった?」
「高級靴ってのはこういうものなの?」
「それとも、元々ラストが合わないものだったのか?」
などと多少の不安を抱えつつも、
「インソールが沈み、ソールの返りの癖がつけば極上の履き心地が待っている。」
と、バラ色の未来を信じて修行と言う名の日々を送ります。
親指付け根の肉がえぐられてるんじゃないか?と絶望に包まれながらタクシーで帰宅すること2回。
「今日こそは!」と朝出かけるも、帰宅した際玄関に座り込みながら「もう二度と履かない」と心が折れること毎日。
それでも、絆創膏とテーピングを味方に、最初は倒すことが不可能と思われるくらい強敵だった単なる高級靴も、いつの間にか人生に欠くことのできない美しい靴へと成長をとげる。
ふと足元に目をやると、いい感じに皺が入ったアッパー。
そっと耳をすませば、コツコツと心地よい音を立てるソールとコンクリート。
美しい靴は、履き手の視覚・聴覚を心地よさで包みます。
まるでクラシック音楽を聞いているような格式高い「快」の世界に誘ってくれる美しい靴は、僕らの見ている景色、感じている世界までも変えてくれます。
「美しい靴に恥じぬ自分であるように」
こんな規律が、いつの間にか自分の中に芽生え、同時に、凛とした姿勢に現れ、前を見る視線に現れ、所作の細部に現れる。
その体現しているものに自分自身で気づくとき、世界がいつもと違って見えるものだから。
美しい靴がもたらすもの。
それは、
「美しい人生を踏み出す最初の一歩」
なのかもしれません。
ここまでありがとうございました。
山本
追伸
全130通分のメルマガバックナンバーをプレゼントしています。
ご興味ある方はこちらをご覧下さい。