アイドルオタクという偏見を超えて。
一般的には、キモいと揶揄されるアイドルオタクが輝いていた。
ピンク色のはっぴを纏い、両手にサイリュウムを握りしめ、メガネが曇るくらいの熱気で叫び踊り狂っている。
頭に巻いたハチマキは、彼の一挙手一投足を追いかけるように空中を自由に流れ動き回る。
容姿は褒められるものじゃないかもしれない。
でもその姿には美しさを感じた。
40歳を目前に控えたアイドルオタクとの会話
少し前の話ですが、松井珠理奈(SKE48)推しのアイドルオタクと話をする機会がありました。
30代後半の男性が16、17歳の松井珠理奈に対して、彼女のアイドルとしての素質、握手会でのやり取り、松井珠理奈を今後どうやって応援していくかなど、その熱く語る姿は世間的に言えば「キモい」と映るでしょう。
そんなアイドルオタクの彼が、松井珠理奈を知らない僕に対して少し上から目線、でも決して目を合わせることなく諭すこと約40分。
「なんでそんなに松井珠理奈を推すの?」
と質問した途端、メガネの奥の眼光が僕を見つめ、
「世界が珠理奈を待っているから」
と一言。
・・・その言葉には重みがありました。
他人のためにあんなに一生懸命になれますか?
出来る限りイベントには参加し、CDを何枚も買う。
人から「キモい」と言われたって関係ない。
松井珠理奈の為に全力で叫び踊る。
彼は自分の為じゃなく松井珠理奈の為に、彼ができることを全身全霊で行っている。
・・・かっこよかったです。
他人の顔色ばかりを気にして、当たり障りなく仕事・人間関係をそつなくこなす。
でも心の中では不満と不安が渦巻いている。
その恐怖から逃れるために他人を見下し虚栄心を育む。
そんな人にはできないこと、それが、、、
「他者のために一生懸命になる」
ですから、彼がかっこよく見えたのは当然なのかもしれません。
競争が生み出す劣等感
賞罰教育を経て競争社会にいるのが僕らです。
「戦争がなぜなくならないのか?」なんて深い話はできないけれど、僕らは競争するように出来ているのだと思う。
「競争なんてしてないよ」とあなたは言うかもしれないけれど、他者と比較する時点でそれは競争と言えないだろうか?
「優越性の追求は人間が持つ普遍的な欲求である。」
と、ある高名な哲学者は言ったけれど、優越性の追求(向上したい、理想の状態を追求と言う意味)を僕らはつい「劣等感」と結びつけてしまう。
劣等感は他者がいてこそ抱く感情です。
一度でも権威にすがったり、自慢をしたことあるのなら、それは劣等感の現れなのです。
そして、賞罰教育を受け、競争社会に身を置いている僕らは、自分では気づかなくても競争をし世界を敵と見てしまっている。
その結果、「何で私だけ」という意識が当たり前となり、無意識的に損得勘定をし「まずは自分、次があなた」となる。
違うんだ。
自分も他者も「同時」に幸せになれる。
だって、松井珠理奈推しのアイドルオタクがそれを体現していたのだから。
自分の幸せと他者の幸せは両立する。
松井珠理奈を全力で推すアイドルオタク。
アイドルオタクに推された松井珠理奈は、ファンのために頑張る。
それが同時に松井珠理奈自身の夢へと繋がっているから。
そして、そんな夢を追いかける松井珠理奈の姿を見てアイドルオタクは満たされる(幸福を感じる)。
ほら、松井珠理奈、アイドルオタク共に、自分の幸せと他者の幸せが両立している。
自己犠牲の必要はない。
「隣人愛」を腑に落とせない要因の一つに、自己犠牲という感覚があるかと思います。
「自分を犠牲にして他者に尽くす」
でも自分を犠牲にする必要はないんだよね。
松井珠理奈とアイドルオタクのように。
もちろん、隣人愛なんて耳障りのいいことだということは百も承知です。
嫌いなヤツ、付き合いたくないヤツってのはいるもんですから。
でも別に、全ての人に対してその感覚を持つ必要はない。
まずは、松井珠理奈推しのアイドルオタクのように、推しメンはたった一人でよいのですから。
ここまでありがとうございました。
山本
追伸
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コメント
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山本さんの文章は素晴らしいです。
山本さんの文章を読んで自分の努力の足りなさを痛感しています。
今の私にはとてもこのようなコンテンツはつくれません。
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Re:
>>1
佐藤さま
コメントありがとうございます。山本です。
お褒めのお言葉ありがとうございます!
単純に嬉しいです(笑)。
佐藤さんも文章を書いている人なんですか?
まあ得てして、他人が書いた文章というのはよく見えるものです。
(偉そうに聞こえたらスミマセン・・・苦笑)
書いてる本人の正直な気持ちを言えば、僕の文章なんて全然で、毎回そのときそのとき出来うることを全力で書いてはいますが、書き終わってみると「もっとこうすればよかったかな?こういう書き方があったかも・・・」ばかりです。
ただ大切なのは、このブログにも書かせて頂いた通り、他者と比べる必要はないということです。
比べてしまう気持ちはわかりますが、そこはあくまで“参考程度”に「ふーん、こんな書き方もあるのね、自分ならこう書くかも」くらいにして楽しまないと、、、世の中には(故人も含め)凄すぎる人ばかりですから、文章を書くことが怖くなっちゃいますよ(苦笑)。
まあそんな絶望を知ることも、有用なコンテンツを作るには必要なんだと思いますけど(笑)。
ではでは、そんな絶望の上で、これからも互いに努力し有用なコンテンツを生み出し続けていきましょう!
コメントありがとうございました。
山本