自分探しを否定する。

こんにちは、山本です。

先日、久しぶりに「自分を見つめ直す」とか「自分探しのために」とかをドヤ顔で言う人に出会いました。

何でも年明けから自分探しのためにユーラシア大陸を横断するそうです。

ユーラシア大陸横断によってその人は色んな経験をすることでしょう。

その経験はきっと有意義なものとなるのでしょう。

ただかなりの高確率で言えることは、ユーラシア大陸を横断したからって「本当の自分」は見つからないということ。

だって、本当の自分なんてないのだから。

「本当の自分」があると思う背景には、「今の自分に満足していない」があります。

人として生きているなら不満足は当たり前のことなので、別にこれが悪いわけではありませんし、むしろ不満足があるからこそ人は努力をするわけですから、不満足はよいことだと言えると思います。

方向さえ間違えなければ。

外に向いた不満足は満たされない。

不幸な状況にあったとき無意識的につい他のせいにしたくなりますよね。

「上司がダメだから」

「景気が落ち込んでいるから」

でもさ、他のせいにした不満足はいつまでたっても不満足のままなんだよね。

だって他はあなたの都合のいい存在としているわけじゃないのだから。

でもね、これは自分に対しても言えること。

「自分探し」と聞いて素朴にこんな疑問が浮かびませんか?

もし仮に「本当の自分」というものがあったとして、じゃあ「今の自分」は何なんだ?って。

・・・偽物なんですかね?

「自分探しの旅なんて意味はない」(養老孟司)

『バカの壁』『「自分」の壁』の養老孟司さんはこう言いました。

「自分探しの旅なんてやっても無駄。
 だって自分を見ないで景色を見てるだけじゃないか」

そのものズバリですね。

「自分探し」とカッコつけないで、「旅行に行ってきます」だったら誤解は生じないのだけど、人はなんて言うか、、、高尚な理由が欲しいんだろうね。

自分を納得させるために。

行き過ぎた拘りがもたらすもの。

結局さ、「本当の自分」を見つけたいなんて、自分への拘りが強すぎる結果なんだよね。

自分、自分、自分・・・

こんなことを言うと、

「自分に拘って何が悪い」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

別に、自分に拘るなとは言いませんが、拘るなら自分意外にも拘ってみてはいかがでしょうか?

道重さゆみも、ももちこと嗣永桃子も、一見、自分、自分、自分と自分大好き拘りアイドルに見えるかもしれないけれど、きっと彼女たちは「今の自分が他者に対して何ができるのか?」の方が優先課題でどちらかというとこっちの拘りの方が強いと思う。

だって売れなきゃ消えてしまうのだから。

こういう人達は、自分への拘りに費やす時間なんてない。

逆を言えば、「自分探し」とか考えちゃうヤツは暇なヤツなんだよ。

怠惰という大罪

7つの大罪の一つに「怠惰」があります。

7つの大罪とは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことですが、そういった意味で怠惰を貪る暇なヤツは罪を犯しているとも言えるかもしれません。

「自分探し」なんてことに時間を割く暇があったら、「他者に対して自分ができることは何か?」に時間を割いた方が健全だと僕は思います。

時間は有限なのですから。

ここまでありがとうございました。

山本



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