僕はニヒリスト???
「山本さんはニヒリストですよね」
こんばんは、山本です。
ちょっと前にこんなことを言われました。
自分で自分を虚無主義と自覚したことなかったので、
言われた時はかなり動揺してしまいました。
「ニヒリズムかあ・・・」
動揺はイコール恐怖ですからね、心臓をぎゅっと
掴まれた感覚があったことを今でも思い出します。
その時は、ニヒリストと言われたショックからか
そのまま受け流してしまったけれど、家に帰って
ふと「何であの人はそう思ったんだろう?」と
疑問が浮かび、考えを巡らせてみたわけです。
・・・・・
多分、その人は僕のこんな発言を受けて
ニヒリストという印象を受け取ったのだと
思います。
「人生に意味なんてない」
巷に闊歩するポジティブバイブス信者にはとっては、
受け入れることが出来ないアンチテーゼなのかもしれません。
正直告白すれば、僕だって100%受け入れているわけじゃない。
数パーセント、いや、もっとかな、、、どっかで「意味」を
見つけようとしている自分がいるから。
でも「意味」を見つけようとすればする程、なんて言えばいいのか
言葉に迷うんだけど、、、うーん「虚無感」って言えばいいのかな、
これに襲われるんだよね。
「こんなことしても意味ねぇな」って。
(あっそう言う意味では僕は虚無主義者なのかも・・・)
僕の家の近所には花屋、不動産屋、八百屋、寿司屋、
ペットフード屋、クリーニング屋、パーマ屋が
徒歩2分圏内にあるのだけれど、ご主人達は毎日毎日
同じことを繰り返し繰り返しで過ごしている。
そんな日常を毎度毎度と見ていると、
「何が面白くてやってるんだろ?」と
屈折した感情が芽生えてしまうのだけれど、
彼らの顔を見ていると、そんな偏狭な考えを
改めざるを得ないのです。
だって皆、生き生きとしているから。
朝、ランニングに出かける僕に必ず大きな声で
「おはよう!」と挨拶してくれる花屋の親父、
バナナを買うと必ず小さなおまけをくれる八百屋の親父、
店前にある亀の水槽を綺麗にしながら「こんにちはー」と
素敵な笑顔を見せてくれるペットフード屋の女性。
そんな彼らを見ていると
「意味なんて求めていないんだなあ」
とつくづく思うのです。
大切なのは「意味」ではなく・・・
「意志」だと思うのです。
と言うのも、
- 「意味」は「結果」を
- 「意志」は「過程」を
包括していると僕は考えているからです。
「結果」だけを追い求める人は、近道をしたがるし、
きっと途中で諦める。「意味ねぇな」と。
方や「意志」の起点はどこまで行っても「いま、ここ」です。
人によって向かう先は様々ですが、向かう「意志」は
「いま、ここ」である「過程」なのです。
詭弁かな?
でも「結果」を求めるではなく、「過程」を楽しむ方が
よいと思いません?
ここまでありがとうございました。
また明日。
山本