前にいるだけ。後ろにいるだけ。



「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
(福沢 諭吉)



こんばんは、山本です。

いや、別に、聖人君子を気取りたくて
福沢諭吉の言葉を引用した訳じゃなく、

毎日駒沢公園をランニングしていて、
ふと思ったんですよね。

「速いも、遅いもあんまり関係ない。

 単に、前を走っているか、
 後ろを走っているかでしかない」

って。

もちろん競技なら順位に拘るのだと思うのですが、
趣味で走っているだけですから。

それに、駒沢公園のランニングコースは1周が
約2.1kmありますが、「周」ってだけあって
ずーっとぐるぐると反時計回りに走るだけ。

地面にオレンジ色で距離が書かれているので
一応スタート地点はありますが、当然の如く
皆そこから走り始めるわけじゃない。

駒沢公園西口もあれば南口もある、
東口もあれば公園案内所口も、、、

こんな無数にある入り口から皆好き勝手に入って、
好き勝手に走り始めるのですから、

あいつが速いとか、どいつが遅いとか、
どうでもいいんですよね。

抜かされた時の悔しさと、抜かした時の優越感

正直言えば、走り始めた頃はこんな気持ちがありました。

「ヨッシャー!俺の方が速い!」って。

同様に抜かされた時は、

「くやしーけど、今日は調子悪し」
なんて言い訳を盾に自分を慰める。

でも毎日毎日意味もなく走り続けていると、
そんなことどうでもよくなってくるんですよね。

ただ淡々と自分のペースで、自分が決めた距離を走る。

やれることはこれだけだから。

走るのが速くても偉くはない。

そりゃー走るのが速い人もいますよ。

でも同様に遅い人もいる。

じゃあ遅い人は速い人を見て「俺なんて・・・」って
卑屈になるかと言えばそんなことはない。

だってオレンジ色で書かれたジョギングコースを
走るだけだからね。

前にいるか、後ろにいるかでしかない。

決して、速い人が「偉く」、遅い人が「劣る」じゃない。



それにゴールだって皆バラバラです。

仮に前を走っていたとしても、どっかで
いなくなっちゃうことがほとんど。

ほら、前にいるか、後ろにいるかでしかないでしょ?

決して、速い人が「上」、遅い人が「下」ではない。

「前後」を「上下」と勘違いしない。

「かけっこで順位付けをしない小学校」なんてニュースが
少し前にありましたが、「じゃあ走らせるなよ!」って
誰もがツッコミを入れたかもしれません。

これがどういう結果をもたらすのかはわかりませんが、
僕は競技においての順位付けは必要だと思います。

勝ち負けがあるから面白いし、
勝ち負けがあるから人は努力もする。



だからと言って、競技の「上下」が
全てに当てはまるとは思いません。

金メダルを取った人が「上」で、
一般のサラリーマンが「下」って
ことではない。

だって、オリンピックで金メダルを
取った人でも、六本木で乱交騒ぎを
起こしちゃう人もいる訳じゃないですか。

一つの競技に於いては秀でた才能が
あったかもしれませんが、それはそれ。

その競技の上では、単に前を走っていた
ってだけのこと。

僕らが卑屈になる要因は全くない。

僕らは僕らのペースでグルグルと回り続ければいい。

やれることは、自分のペースで、自分が決めた距離を走る。

これだけだからね。

世界はきっとシンプルなのだと思います。



ここまでありがとうございました。

また明日。

山本

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