謙虚と臆病

「今の自分はまだまだだ」

こう思うことはよいことだと思います。

昨日の話じゃないですが、今の自分を否定するというのは
「意識的」に生きる土台になると思うから。

ただ、謙虚すぎるのは少し問題がある。



「それは僕にはできません」

社会に出て一番驚いたことの一つが、
即答で断る人がいるということ。

怠惰な理由で断る人がほとんどかもしれないけれど、
中には「お役に立てないから」という謙虚な気持ちで断る人もいる。

そりゃ畑違いの仕事を依頼されても、それは迷惑をかける可能性の方が
大きいから致し方ないけれど、そもそも畑違いの仕事を依頼されることは
そう多いことではない。

だけれども、「まだ経験が足りないから、もっと勉強した後に」と
先延ばしにしてしまう。



「全てにおいてアウトプットが先行する」(東方の賢者ワイズマン)

自分はまだまだという思いは大切だけど、それに慣れすぎると、
行動が起こせなくなることはよくある。

謙虚と臆病を混同してはいけない。

臆病の根本にあるのは、自己防衛、つまり「バカだと思われたくない」
「恥ずかしい思いをしたくない」だ。

その典型が僕だ。

「自分に積み重ねたものがない、
 だから一つのことを深く突き詰めてからじゃないと・・・」

・・・・・1年経ってしまった。

もちろん、この1年間が全く無駄だとは思っていない。

けれど、「ぼーっと過ごした1年間だったね」と言われても
反論はできない。

だってアウトプットをしていないのだから。



僕は彼からアウトプットの重要性を学んでいる。

いや、学ぶというより、彼の体現している過程を目の当たりにすることで、
自然とやっているって感じだろうか。

毎日配信される動画、毎日更新される記事、週間で届けられる音声、
月刊で届けられるレポート。

「男は黙ってサッポロビール」じゃないけど、体現の重要性を
まざまざと見せつけられるこれらのコンテンツ群が、
今の僕の指針の一つとなっていることは間違いないと思う。



「やることに意味なんてない。

 やることに意味を探すとき、それはやめる理由を探すときだ」

(東方の賢者ワイズマン)



もし興味があればご購読をお勧めします。



ここまでありがとうございました。

山本

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