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僕は死ぬまでにあと何回食事ができるだろうか?

こんにちは。
山本です。

タイトルは忘れてしまったのですが、数年前に

「僕は死ぬまでにあと何回食事ができるだろうか?

 1日3回の食事を摂るとして、1年で約1,100回、10年で・・・

 いつ死ぬかわからない人生、1回の食事を大切にしていきたい」

的な内容の本を読みました。

「わからないでもないけど・・・」

というのがその当時の僕の正直な感想で、やっぱり現実として
腑に落とすレベルには至りませんでした。

それに「食事を大切に」と言われたって、食事は栄養素を摂る
行為ですから極端なことを言ってしまえば栄養さえ摂れれば
何だっていいわけで、毎食ジャンクフードで足りない栄養素は
サプリで補充。

こんな食生活でも、生きることは可能なわけですから。。。

ただ「食生活」という言葉が示すとおり、食事は僕らの生活に
おいて重要な役割を持つことを最近は実感しています。

それはちょっと前、胃腸炎になった際に胃を休めることを
目的として食べていた無農薬の果物の美味しさに感動した
ことや、一人暮らしにおける自炊の寂しさから、誰かと
食べることのできる幸せを実感レベルで学べたことなどが
要因かもしれません。

兎や角、食事とは「社会」「所得」「健康」という側面からも
疎かにできない行為であると今の僕は思うのです。

「だれ」と食べるかで、社会化・帰属意識が育まれ、

「どれ」を食べるかで、所得の増加パターンが示され、

「なに」を食べるかで、心身の健康が保たれる。

もちろん、「食事を大切に」という定義は人それぞれですので、
ビーガンにとっての「だれ」「どれ」「なに」と、肉食主義者に
とっての「だれ」「どれ」「なに」が違うのは当然ですし、
家族の在り方が変わった現代では、サザエさん一家のような食卓は
影を潜め、孤食が当たり前となりつつありますので、その意味でも
一意には決まらないものだと思います。

ただ、一意には決まらないものだけど・・・

僕なりに「食事を大切に」することに対して、決めていることが
あります。

それは、



・「いただきます」と「ごちそうさま」を言える食事をすること。



「そんなの当たり前じゃん」と思われた人はある意味幸せな人生を
送られているのかもしれませんね。

例えば牛丼屋。

時間帯によるかもしれませんが、ほとんどのお客がスマホ片手に、
時には音楽を聴きながら食し、そのまま無言で店を立ち去ります。

僕はその光景を見るたびに、食事というよりも給餌だと思ってしまいます。

いや、以前実家で飼っていた猫は食べ終わりに「にゃー」と
挨拶しにきたので、うちの猫の方が牛丼屋で食事をする人より
食事をしていたのかもしれませんね。

ただ僕は牛丼屋を無言で立ち去る人が悪いと言いたいわけではありません。

僕だって油断したら無言で立ち去ってしまいますから。

なぜか?

それは誰からも注意されないからです。

一人暮らし経験のある方ならお分かりかと思いますが、肘をついて
食べようと、くちゃくちゃと音を立てて食べようと、テレビを
見ながら食べようと、誰も何も言わないわけです。

そりゃ当たり前ですよ。あなた以外誰もいないわけですから。

人はそういった環境にどっぷり浸かってしまうと、いつしかそれが
当たり前となってしまうものです。

怖いことですよ。

でもね、栄養素を摂るだけが目的の食事に対して、心から
「いただきます」「ごちそうさま」が言えるかというと
それもやっぱり難しいと思うのです。

10回中9回は言えたとしても、1回は忘れてしまうかもしれません。

そしてその1回が2回となり3回となり、いつしか10回全てで
無言となってしまう可能性もあるのです。

人は楽な習慣を好むものですから。

じゃーどうすればいいのか?

僕がオススメするのはやっぱり、



・「なに」を食べるかに注力すること。



これが一番簡単で手っ取り早いと思います。だって「だれ」は文字通り
誰かが必要ですし、「どれ」は経済的な事情が介入してきますから。

これらに対して「なに」はあなた自身で今すぐ決めることができます。
一応断っておきますが、無知による偏食は含めないで下さいね。
カップラーメンを毎食食べられても困りますから(笑)。

僕がここで言う「なに」は、



・あなたが「いただきます」「ごちそうさま」を自然と言える食事



のことです。

これこそ定義はあなた次第ですが、「いただきます」「ごちそうさま」
にはどちらにも「感謝」の意味が含まれていますから、食事に対して
自然と「感謝」できるものになると思います。

食材への感謝かもしれないし、調理してくれた人への感謝かもしれない、
はたまた、食材を調達できる環境に対してかもしれない。

もちろん、突き詰めるとこれら全てに対しての感謝になるかとは思いますが、
まー何にせよ、そんな「なに」を食すことに注力してみることを
僕はオススメしたいです。

因みにですが、この視点を踏まえると所謂ジャンクフードというものが
自然と遠のいていきます。

これは僕の主観が色濃く反映された意見ですので聞き流す程度で
構いませんが、、、体調が悪くなるものに対して「感謝」はできませんよね?

もしジャンクフードを断ちたい人にはオススメの視点です。



最後に。

「明日地球が終わるとしたら何を食べる?」

的な質問を一度や二度はしたこと・受けたことあるかと思いますが、
この質問に対してカップラーメンとかファストフード店のメニューを
答える人はそうそういないと思うんですよね。

今は飽食の時代ですから、24時間、好きな時間に、好きなモノを、
好きなだけ食べることができます。

人類の進化はカロリー獲得の歴史とも言われていますから、そういった
意味では今はどの時代よりも勝る時代なのかもしれません。

ただ「感謝」を忘れた食事は、栄養的には100点かもしれませんが、
精神的には0点に限りなく近いと僕は考えます。

だって牛丼屋で音楽を聴きながら、スマホをいじりながら、
無言で帰る人の顔は死んでますから。

ただ誤解して欲しくないのは、ジャンクフードを食べるなと
言いたいのではありません。

僕がここで言いたいのは、



・1回1回の食事を楽しみましょーということなのです。



だって、楽しい食事には自然と「いただきます」「ごちそうさま」が
あるでしょ?

例えばある年のクリスマス。某フォストフードのクリスマスバーレルを
シャンパン片手に家族・友人達と食べるときって自然と笑顔で
「いただきまーす」って言ってるでしょ?

もちろん、一人で食事するときだって同じことです。

僕は最近甘いものが好きなのですが、見てよし、食べてよし、
気分よしのスイーツは一人だとしても自然と楽しくさせてくれますから。



僕は死ぬまでにあと何回食事ができるだろうか?


あと何回食事できるかなんて誰もわかりませんが、もしかしたら
今食べる食事が最後になる可能性だって否定できないわけです。

だったら、給餌を待つ死んだ人間ではなく、「いただきます」
「ごちそうさま」を自然と言える人間として楽しい食事をしましょうよ、
というのが僕からのメッセージであります。



僕はここ何通かグルメ的な記事を書かせて頂きましたが、僕なりにどれも
「いただきます」「ごちそうさま」を自然と言えるものをご紹介させて
頂きました。これからもこういった視点でご紹介していくつもりですので、
何かの参考にして頂けたら幸いです。

ここまでありがとうございました!

健全な魂は健全な肉体に宿るを信じて。

山本

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