ジョジョリオン「東方大弥ちゃんのスタンドが恐い・・・」

こんにちは。
山本です。

すごーく私事なんですが、7月5日友人に子供が誕生しました。

出産予定日より1ヶ月も早い誕生。
2〜3週間は保育器とのことで両親にとっては
ちょっと不安なところもあるかもしれないけど、
見方を変えれば1ヶ月も早く出てきた子です。

「お母さんのお腹の中もういや!」って(笑)。

きっと丸大ハムのCMにあったような
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」
って子になるのでしょう。
(女の子なんですけどね。笑)

三鷹のジョニーデップといわれた我が友、家族に、
光あらんことを。



それでは、本日の内容はジョジョリオンを再読してふと思った
「このスタンド恐い、、、」が源泉です。

早速いってみましょう。

1.思い出の共有から考える光と影

ジョジョを知らない人のために簡単に『スタンド』のご説明を。

『スタンド』ってのは、そのキャラクター固有の
『能力』みたいなものです。ワンピースでいえば、
悪魔の実の『能力』と考えていただければと。

で、『ジョジョリオン』(ジョジョ第8部)に登場する
『東方 大弥(ひがしかた だいや)』のスタンド能力が、

・相手の記憶を奪う

というものなのですが、このスタンドが発現する条件は、
大弥ちゃんに対して不自然体な対応をする、
つまり大弥ちゃんに気を使わせるとスタンドが発現します。

その結果、ひとつずつ記憶が奪われる。

ジョジョリオン_東方大弥

でね。

なぜ僕が「こわー」って思ったのかと言うと、大弥ちゃんのこの台詞。



「真の『幸せ』って考えたことあるぅ?
 本当の『幸せ』を・・・・・」

「わたしはすでにわかっている」

「『幸せ』っていうのは・・・・・
 『思い出』を誰かと共有することよ」

ジョジョリオン_東方大弥



大弥ちゃんは「幸せ」のために、人から記憶を奪っている。

大弥ちゃんは「幸せは、思い出を誰かと共有すること」
って言っておきながら、思い出を相手から奪い独占している。

こわーって思いません?

ジョジョリオン_東方大弥



ただね、これってよく考えたら僕らの中にも
大なり小なりあるのかなあーって思ったりもするわけです。



・相手の話を聞かない

・相手の話を聞くだけ

・自分の言いたいことだけを言う



これも大弥ちゃんのスタンド攻撃とあまり変わらない。

だって、思い出を「共有」していないから。



アメリカで著名な結婚カウンセラーのゲーリー・チャップマンは

「愛には、相手の愛の一次言語を学ぼうとする
 積極的な姿勢が必要」

と言っています。“愛の一次言語”を簡単に
ご説明すると、相手に響く言葉ということです。

例えば、

「ありがと」

「いつもありがと」

で後者の方が相手に伝わるのであれば、
それが相手の愛の一次言語ということです。

一次言語は相手、シチュエーションによって
変わるものですから、形式的な型みたいなものはなく、
その場、その場でダイナミックに変わっていくものです。

なので、ゲーリー・チャップマンが言う
「学ぼうとする積極的な姿勢が必要」の
“積極的”が示唆する大変さもわかりますよね。

相手とのコミュニケーションの第一歩は「共有」ですから。



ただ「思い出を奪われる」も勿論恐いのですが、
本当に僕が「こわー」って思ったのは、
大弥ちゃんのスタンド能力の発現ルールに対してなんです。



「公平さこそルール」

「『ルールこそパワー』なの・・・」



と大弥ちゃんは言い、大弥ちゃんに自然体で接しないと
記憶を奪われるわけですが、、、
あなたは自然体で人と接することができますか?



僕はどうしても邪な感情が拭えないときがあります。

「かっこつけたい」

「バカだと思われたくない」

「面倒だから適当に」

「相手のための嘘ならちょっとくらい」

「怒られたくないから無難に」

「そんな空気じゃないから」

「自分の発言に突っ込まれたどうしよう」

「間違いたくない」

「自分の意見に誰も賛同してくれなかったらどうしよう」

「失敗したくない」

「この人には、自分は相応しくないのでは・・・」

ってな感じで。

もちろん、こんな気持ちで大弥ちゃんに接したら、
それは大弥ちゃんに気を使わせること
(嘘をつくこと)になりますから、
記憶は奪われるわけですし、僕らの現実で考えた場合でも、
こんな気持ちで接していては相手と本当の意味での
「共有」は難しいと思うんですよね。

例えば、女の人って男の浮気をすぐ見抜くじゃないですか?

やっぱりそれは自然体じゃないからですよ。
浮気を見抜く女性も、見抜かれた男性も何が(どこが)
自然体ではなかったと明確に指摘はできないと思いますが、
やっぱり自然ではない何かしらの違和がそこにはあるから
バレるのだと思います。

じゃはたして、
僕らは人と接するとき自然体でいることはできるのか?

「・・・・・」

できそうでできないことのひとつですよね。

こればっかりは自分自身が何であるのか、
自分がどうあるべきなのかを踏まえて考え、
そして、それらを腑に落とさないとできるもんではない。

一生をかけてやることになるかもしれませんが、
やり続けなくては到達しないのは確かです。

「だからやってください」

じゃあまりにも無責任かと思いますので、
とっかかりになるかはわかりませんが、
「大弥ちゃんから記憶を取り戻すルール」がヒントになると
僕は考えていますので共有させて下さい。



記憶を取り戻すルール、
それは大弥ちゃんに自分の影を踏ませることです。

これによって奪われた記憶を取り戻すことができるのですが、
これが僕の中では自分を見つめるヒントとなりました。

どういうことかと言いますと、、、



自分が隠したい欠点をまずは認める



と僕は解釈したってことです。



光と影、陰と陽じゃないですけど、
世の中全てに表と裏がありますから、
自分の影(隠したい欠点)も、やっぱり自分なわけですよ。
そこをまずは自分で認めていかないといけない。

これってやってみたらわかると思いますが、結構つらい。。。

今まで自分でもひた隠しにしてきた欠点、
もっと言えば無意識的に隠してきた欠点を
見つめ直すわけですから、正直しんどい作業です。

ただこれをやらないことには、
自然体にはなり得ないのかな、と。

だって、背筋を無視して腹筋だけをやたら鍛えた結果
腰痛になるのと似たようなもんで、自分の影(裏)を認識しないで、
まっすぐ立つことは難しいと思いませんか?

斜に構えた人をあまり好きになれないように、
バランスを欠いた人とは思い出を共有しにくいものです。

逆を言えば、

・思い出を共有するにはバランス(自然体)が必要である

ということです。

理不尽な社会にいる僕らが自然体になることは難しいし、
同時にそれは恐いことかもしれませんが、
社会の基本はコミュニケーションです。

基本が何よりも大事と思えるならば、


  • 思い出を共有しようとする積極的な姿勢
  • 自分の欠点を認識することによる自然体



をまずは意識してみて下さい。

いきなり完璧を目指すのではなく、少しずつでよいので。

この意識があるだけでコミュニケーションの質は
びっくりするくらい変わりますから。

相手を「モノ」ではなく「人」として接する態度。

一歩ずつ進んでいきましょう!



それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

また次回。

山本



追伸
自分の欠点を認める一番簡単な方法(最初のステップ)は
誰かに言ってしまうことです。

身近に言える人がいないという場合、
僕に言って下さい。

こちらからどうぞ。

多分、家族や親しい友人などに欠点を言うより
言いやすいと思いますので。

因みに僕の欠点は今日の手紙であなたにお伝え済みです。
勝手に言わせていただきました(笑)。

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