福山雅治と大きな流れ
こんにちは。
山本です。
あっちへふらふら
こっちへふらふら
そんなフワフワした人がいたとして、あなたはこの人をどう思いますか?
例えば、福山雅治。
歌手であり、役者であり、写真家であり、ラジオパーソナリティでもある福山雅治。
福山雅治はご存知の通りどのジャンルでも成功しているエンターティナーでありますから、そんな彼を“フワフワ”と表現してはいけないような気もしますが(フワフワと表現した理由は後述します)、福山雅治がまだここまでの成功を収めていなかった頃、僕の友人で福山雅治ファンの女性がこんな事を言っていました。
「役者の福山雅治はかっこいいんだから、歌なんて歌わなくていいのに」
その女性は“役者 福山雅治”のファンであり、決して“歌手 福山雅治”のファンではなかったのです。そんな彼女にはその当時の福山雅治がふらふらしているように映ったのでしょう。
あなたも今までの人生に於いて1度は、
「確固たる自分の軸を持ちなさい」
的なことを言われたり、言ったり、聞いたりしたことがあるかと思います。至極当然のように受け止めてしまいそうな事ですが、果たして確固たる軸なんて僕らは持つことができるのでしょうか。
あくまで私見ですが、僕は確固たる軸を持つことは不可能だと考えています。
だって“生きる”って常に動いている事象な訳じゃないですか。そんな動的な僕らが“確固たる軸”という静的なものを持ち続けることは、つまりは自分を偽り無理して生きていくことと同義だと僕は思うのです。
ただ一つ勘違いしてほしくないことは、「確固たる軸を持つことはできない」と僕は考えてはいますが、「人生の大きな流れの方向(目標)は決めるべき」とも考えています。
というのも“大きな流れ”を自分自身で把握していなかったら、それこそ動的な軸であっても、あっちへふらふらどころか、明後日の方向に行ってしまいますからね。あくまで大きな流れの中で軸は移動するべきなのです。
先ほどの福山雅治さんでいえば、
- 大きな流れ : エンターテイメントを僕らに提供
- 動的な軸 : 歌手、役者、写真家、ラジオパーソナリティ
なのだと思います。こういう視点で福山雅治さんの活動を見ると全くぶれはないですよね。フワフワしているのはあくまで動的な軸な訳ですから。
数日前僕は「好き勝手やる事の大切さ」という記事を書きましたが、それも同じです。大きな流れの中で好き勝手やる(=動的な軸)ということなのです。
もちろん、僕らは常に動的な存在ですから、“大きな流れ”にも多少の調整は発生するかもしれません。ただあくまで“多少の調整”であることが重要で、この流れが180度変わることがあれば、それが世間でいう
地に足が着いていない人
という事になるのです。“大きな流れ”は他の誰でもないあなたが決める重要なことです。考えて、考えて、実行して、考えて、実行して、考えて、決めていただければと思います。
山本 和広