陶片追放

こんにちは。
山本です。

陶片追放

古代アテネに於いて僭主の恐れがある人を国民投票によって国外追放にする制度のことです。

人間関係がギスギスしそうな制度ですが、人間関係が悪くなるで思い出すのは、小学校時代に行われた、「学級裁判」です。

「AちゃんがBちゃんの悪口を言ってました」とCちゃんが学級裁判の議題に挙げる。

クラスの問題を皆で考えよう、という主旨だとは思うんですが、Aちゃんも、Bちゃんも、そして、発表したCちゃんも誰も得しない制度です。学校容認のいじめとしか僕は思えませんでした。

ただ今日考えたいのは誰も得をしない制度という事ではなく、投票する人は“何を基準に”投票者を決定しているのか、という事に関してです。

陶片追放では投票数が6000票を越えた者は10年間の国外追放が言い渡されたといわれていますが、はたして市民はどうやって僭主の恐れのある人を見分けることができるのでしょうか。

古代アテネの市民は全て僭主を見分ける見識に長けていた?

多分違うと思います。どの時代に於いても大衆は大方間違うものですから。

で僕が思うには、やっぱり「その場の空気」に左右されたところが多いんではないかと思います。所謂「世論」ってやつですか。

サービス残業が当たり間の会社において、定時に帰る社員は場の空気を乱す社員と思われるでしょう。そんな会社でもし陶片追放のような制度が開催されたら(もちろん目的は追放ではないですけど)、その社員に数票は入るでしょうね。

多分古代アテネでも、

なんとなーく自民が嫌だから民主に。
なんとなーく民主がダメだから批判して。

みたいな、まさに今の日本のような状況で僭主の恐れがある人を選んでいたのではないかと僕は思います。この空気ということに関しては機会があったら後日詳しく考察したいのですが、結局この陶片追放という制度で誰が得をするのか?っていうことです。

やっぱり「貴族」が得をしますよね。自分たちの地位を脅かす人を排除できるのだから。
※近年では僭主登場の防止という説より、貴族間抗争を平和的に解決する手段という説が有力みたいですが。

では今の日本の状況を考えてみましょう。

僕はテレビも新聞もインターネットのトピックス記事も見ないのですが(もちろん世の中の動向を考える為に主体的にニュースサイトにはアクセスしますが)、それでも政府批判ニュースを見かけない日はありません(勝手に目に飛び込んできます)。

日本は議会制民主主義による主権在民とはいわれていますが、誰も自分達に主権があるとは実感できていません。もし仮に実感しているのであれば、今の世の中のバカだらけというわけです。仮にも自分達が選んだ首相を自分達で批判しているのですから。自分で自分を批判しているのと同義です。バカといわずなんというのでしょうか。

誰も自分達に主権があると思っていないから、無責任に批判をしてしまうのです。

ではこんな状況の日本において一体誰が得をしているのでしょうか?

もちろんそんなの誰もわかりません。が、わかろうとする努力は必要だと思います。あなた自信、他に流されずに自己の意思を持ってニュースに接し、考えるように心がけて下さい。

山本 和広

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