AKB48と幸福論

こんにちは。
山本です。

AKB48。
テレビを見ない僕でも今彼女たちがグイグイ来ていることは知っています。YouTubeを見ればAKB関連の動画が次々にアップされていますし、秋元康という看板もやっぱり世間の注目を集めるのでしょう。アイドルに順位をつけたり、じゃんけんでグループのセンターポジションを決めたりと、確かに今までにはない驚きを私たちに提供しているアイドルグループがAKB48というわけです。

で、つい2週間前までAKB48を『アキハバラフォーティーエート』と呼んでいて、友人から『エーケービー』だから!と注意された私山本のAKB48考察早速いってみましょう。
(昔は『アキハバラフォーティーエート』と呼んでも間違いではなかったみたいですが)

1.AKB48のコンセプト転機から考える非日常と日常の交錯

まずAKB48とはなんぞや、という事でAKBを調べまくりました。WiKiからYouTube、ブログにネット記事、本屋に行ってメンバーグラビア・関連図書の立ち読み、極めつけはドン・キホーテ秋葉原にあるAKB劇場まで行きました。やっぱり体感するのとしないのとじゃ雲泥の差がありますからね(ちなみに公演は見ていません。いつかは見たいなと考えています)。

5年位前から彼女たちの存在は知っていました。秋元康が新しいアイドルユニットをプロデュースしたというニュースを聞いたことがあったからです。暫くしてAKB48から派生した「渡り廊下走り隊」というユニット名を聞いて感服したのを今でも覚えています。「渡り廊下走り隊かぁ~」と。僕の中には確実になかった世界分節でしたので今でも渡り廊下走り隊と聞くと、その当時の気持ちがよみがえります。そんな僕がここ2週間はAKB48尽くしです。主要メンバーのブログはRSSで拾っていますし、AKB関連キーワードでネット検索しまくりましたからね。いや~傍から見たらほんとに暇な人と思われても仕方ないくらい動画も見まくりましたよ。今じゃすっかりAKBファンです(笑)。

AKB48は「会いにいけるアイドル」というコンセプトではじまったアイドルグループということは知られていますが、AKBシアターで細々とやり続けていたらここまでブームにはならなかったでしょう。ではAKB48の転機はなんだったのか?やっぱりコンセプトの転換が1つ大きな理由だと僕は思います。それは会いにいけるアイドルから、

  • 会いにくるアイドル

への転換です。AKB48の公式スケジュールやAKB48メンバーのブログを見ると、握手会イベントを頻繁にやっています。なんでもCDの中に握手券が同梱されているらしく、CD買ったらもれなく握手、というわけです。批判も多いですがこれがAKB商法といわれている所以です。で、動画などで握手会の映像をみると結構長い時間握手してます(といっても多分長くても5秒くらいかもしれませんが)。その際、握手だけではなく一言二言会話もしているんです。もちろん、動画に載っている瞬間ですので都合のよい場面だけをつかっているのかもしれません。でも、やっぱりこれって嬉しいですよね。あなたがもしAKB48ファンで、且つ、地方に住んでいたら尚更です。好きなアイドルが会いにきてくれて、それで握手&(多少ですが)会話できる。物心ついた頃からテレビがある生活が普通の人にとってはやっぱり芸能人ってどうしても非日常の存在なんですよね(そうするようにブランディングしてますから当然かもしれませんが)。そんな非日常が日常で会える。そんな非日常が日常に来てくれる。それも頻繁に。ある熱烈なファンはこうコメントしていました。

  • AKB48は触れ合ってなんぼ

うん。コンセプト見事にずばり。秋元康あっぱれです。

今のAKB48の加熱ぶりはあなたもご存知の通りですが、もちろん冷めた目で見ている人からは「来年はいないでしょ」的な意見を多く目にします。単なる一過性のものだと。確かに、ほんとに今の時代人々の興味の移り変わりのスピードはすさまじいものがありますから、このAKB48ブームが永続的に続くとは考えられません。いつかは失速するときが必ずくるでしょう(あくまで“失速”であって“消滅”するとは言っていませんので悪しからず)。ただ今の時代、一発の花火が打ち上がりその余韻を楽しむ間もなく消えてしまう(終わってしまう)、そんな芸能人が多いなか、AKB48はこれだけのブームを築いているわけですからそれはそれで単純にすごいと思います。僕的にはiPhone/iPadと同じ勢いをAKB48に勝手に感じていますしね。

元来アイドルというのは偶像という言葉が発展したのものです。偶像とは神のような非現実的な存在を具現化したもの(=崇拝の対象となる存在)、という意味です。そんな神(AKB48)が我々凡人のもとに降りてきてくれる。ましてや触れることも出来る。しかし、決して神と凡人の間に段差があるわけではなく、常に同じ目線で同一方向を一緒に見れることができる。夢を一緒に叶えるパートナー。このギャップに人は夢中になってしまうものです。

  • コンセプトの転換
  • 日常と非日常の交錯

これが今のAKB48人気の1つの要素だと僕は考えます。

2.大島優子・前田敦子のブログのコメント数から見る幸福論

まずは幸福というものから考えてみましょう。普段我々は幸福は人それぞれ、と考えています。そりゃあなたにとっての幸福が、他の人にとって必ずしも幸福とは限らない訳ですから、当たり前の感覚といえば当たり前です。ここでこの主観的だと思われている幸福を違った方向で考えてみましょう。つまり、幸福に普遍の法則はないかという考えです。それを考えるときに参考になる人達がいます。アリストテレスとV・E・フランクルです。この2人は幸福に関して次のように語っています。

アリストテレス
 アリストテレスにとっての善(=幸福)は「自分が十全に自分らしくある」

V・E・フランクル
 「自殺を考える人にこれからの人生どんなにいいことが待っているかを説いても思いとどまることはない。しかし、周りの人がいかにあなたを必要とし、期待しているかを伝えると、ほとんど全員思いとどまる」

さて、これを知ってあなたはどう考えますか?僕はこの言葉を教えてもらったときに、幸福というものにある程度誰にでも共通する普遍的なものがあるのかもしれない、という概念を持てるようになりました。そして、その普遍幸福は、

  • 人から必要とされて、自分らしさを発揮しているとき幸福を感じる

と換言できると考えています(あくまで私山本の私見です)。

前田敦子
大島優子

これを踏まえ、ブログのコメント数に関してです。AKB48総選挙の1、2位である大島優子(写真左)と前田敦子(写真右)。<※写真はAKB48公式サイト「メンバー情報」から引用>この2人はアメブロでブログを発行しているのですが、あなたはアクセスしたことありますか?アメブロアクセスランキングも常に上位ですので知っている人も多いかと思います。この2人ブログをかなり頻繁に更新しています。1日に2~3回は更新していると思います。内容としては今から撮影します、とか、今日は何を食べたとか、メンバー内でこんなことがあったとか、正直どうでもいいことばかりなのですが、ただ、ブログを見ていると今彼女たちが何をしているのか大体把握することができます(もちろんその一瞬だけの切り取りで、○○をしていた、というあくまで過去の断片情報ですが)。まっこれもある意味「会いにくるアイドル」を印象付けてくれますので、ファンにとってはたまらないでしょう。何を今更、と思われるかもしれませんが、ブログは今の時代ブランディングには有効的且つ必須ツールなんだな、と大島優子・前田敦子のブログを見て改めて実感しました。

で、大島優子と前田敦子のブログで僕が注目したのは「コメント数」です。ブログなんてめったにフィードしませんので、どのくらいが平均なのかはわかりませんが、彼女たちのブログに対するコメント数がハンパないです。余裕で1,000件オーバー。前田敦子に限っては2,000件オーバーが当たり前です。これ1日じゃないですよ。1記事に対してですよ。つまり1日3回とか更新していますからその都度これだけのコメントがつくわけです。因みにAKB総選挙で逆転負けを喫した前田敦子の当日のブログコメント数は今日(9/30)の段階で31,000件を超えています。AKB総選挙から3ヶ月近くもたった今でもコメントが更新され続けています。この異常事態はなぜ起きるのでしょうか?AKB48が今ブームだから?マスコミに多く取り上げられているから?単に見ている人が暇だから?これじゃ移り気の現代人に対しての理由がつきません。そこで、先ほどの幸福論です。そう、

  • 自分が必要とされていることの実感を得られる

というのが僕が考察して出した今の結論です。この現代社会は、人を人として扱わず、物として扱う社会です。これは何も批判の意味で言っているわけではなく、必然的にそのような社会になってしまっていますので致し方ありません。そんな現代社会においては誰しも人を人と見れず、自分以外に興味がなくなり、排他的な思考になりがちです。ただ、人間は生まれながらに幸福に生きたいという欲求があります。その幸福欲求を満たす行為と、AKB48はシンクロ率が高いと考えたからです。

というのも、AKB48はファンの力によって彼女たちの未来の可能性を広げることができます。それは大島優子を例に見れば明らかです。今まではAKB48で一番有名なメンバーが前田敦子でした。逆を言えば世間が唯一知っているメンバーが前田敦子だったともいえます。常にセンターポジションで華やかに歌い・踊り、インタビューではかならず質問される。その前田敦子から1位の座を奪った大島優子の注目度はあなたの知るところだと思います。その1位の座はファンからの投票で決したAKB総選挙の結果です。ほんとにガチで行っていたのかはわかりませんし、1人のファンが投票権を複数持てるシステムですので(CDを複数枚買えばいいだけ)、いろんな意見が出るのはわかります。それでも、ファンの投票により絶対エースの前田敦子から1位の座を奪ったわけです。大島優子の可能性の道を大きく広げるのに一役買ったのは紛れもない大島優子に票を投じたファンなのです。

そんなファンの応援力が顕著にでる仕組みをとっているアイドルがAKB48なわけですから、ファンも躍起になって推メンを応援します。この見方を180度変えれば、

  • 「大島優子には僕が必要」

という思考になるのは容易に想像できます。これだけ聞くとストーカー的な香りがプンプンしますが、意識する・しないに程度の差はあれど少なからずこういった思考に誘導されるのは致し方ないと思います。よって、応援する毎に自分が必要とされ、幸福を感じることが出来るということです。そういった意味でも秋元康はうまいなぁと思いますよね。

因みに、僕がAKB48に対して否定的だと思わないで下さいね。2週間前まで「アキハバラ48」と読んでいた僕が今ではAKB48をかなり応援してますから。それに今のAKB48ブームは運だけだとか、プロパガンダ戦略がうまかったからだけとか、ではこんなにも話題にはなっていないでしょう。このブームの根底理由はやっぱり彼女たちの努力があったからこその結果だと僕は強く信じているからです。

それは先ほどの大島優子・前田敦子のブログを見ても明らかです。彼女たちはファンをおろそかには絶対にしません。握手会然り、AKB劇場での公演然り、そしてブログも然りです。ブログに関して言えばコメントもおろそかにしないのがさすが1位2位だなと感心してしまいます。というのも、ちょこちょことブログのコメントと会話するんですよ。彼女たち。例えば、頻繁に更新していた前田敦子の更新が1日1件にとどまった日は「大丈夫?」「仕事忙しいのかな?」「心配だよ」的なコメントが殺到します。そして、ようやく更新された翌日、「皆心配してくれたありがとう」と記事に書くわけです。また、ドラマ『Q10』の撮影で忙しい前田敦子に「最近メンバーと交流してる?」「メンバー写真アップして」とかのコメントに対して、「最近みんなからメンバーとの写真が少ないねっていうのが多い気がするので」とメンバーとの写真が大量にアップされるわけです。この一言でファンたちはますます信者度を高めるわけです。先ほどの言葉でいえば神(=非日常)とのコミュニケーション(=同一視線)とでもいいましょうか。

また、彼女たちは出演しているテレビも皆一生懸命なんですよ。彼女たち一人一人が本当に「いま、ここ」を楽しんでいるんだなぁということが自然とつたわってくるのです。もしかしたら本心では違うかもしれませんよ。人間究極的には絶対に分かり合えないもの同士なんですから。ただ、それでも彼女たちは今を一生懸命生きていて、輝いて見えるのです。だから、見る人は自然と彼女たちに惹かれるのだと僕は思います。未だに「アイドルが好き=オタク」と想像してしまう人もいるのかもしれませんが、自分の知らない世界を知るのは何よりも楽しいものです。そして、今日本で一番輝いているであろう彼女たちAKB48の「いま、ここ」感を観て・感じる事はきっとあなたにとっても何かしらの発見があると思いますよ。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

2010年9月30日
山本 和広

日常考察

  • 人から必要とされたとき普遍的幸福を感じることができる。
  • 今を一生懸命生きている人は人を魅了する力がある。

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