映画『告白』を観て、理性について考えてみた。

こんにちは。
山本です。

胸が締め付けられるような感覚

これが映画『告白』を観終わった後の僕の率直な感覚でした。

映画『告白』松たか子1映画『告白』松たか子2映画『告白』生徒いじめシーン

映画や本は我々に何かをもたらします。我々は十人十色ですので、映画や本から受け取るものは個人個人全く違って当然です。ただ、この現代の日本で生活している我々にとって、『告白』という映画からはある程度共通のものを受け取ったのではないかな・・・と個人的には思っています。
(勿論受け取るものは1つではありませんので、受け取ったうちの“ひとつ”が同じものではないかな、という意味です)

僕の家にはテレビがないので、『告白』がどのようなキャンペーンを行っているのかはわかりませんが、興行収入も良いみたいですし、yahooなどにも頻繁にバナー広告が掲載されていますので、例え映画を観ていないとしてもあなたは『告白』がどういった内容の映画かは大体想像できるかとは思います。

簡単に『告白』の説明をしますと、、、

湊かなえさん原作の同名小説を松たか子さんが主演した映画がこの『告白』です。小説の『告白』は2009年の本屋大賞も受賞しているので読んだ方も多いはず。僕は近頃小説を全くといっていいほど読まないので、映画の『告白』が僕が初めて触れた『告白』となります。

簡単に内容を箇条書きで整理すると、、、

  • 松たか子さんが演じる女性教師(森口)の娘が事故で亡くなられた
  • 実際は事故ではなく、森口が受け持つ生徒37人の誰かによって「娘が殺された」と告白
  • 犯人は2人
  • 犯人とその関係者の告白を基に映画は進む

一応ウィキペディアで調べるとジャンルは「ミステリー」となっているみたいですが、この映画は決して「犯人探し」の映画ではありません。犯人は冒頭の数十分。森口(松たか子)の告白でわかります。そこからは、犯人である生徒とその関係者との告白により映画は進んでいきます。

映画の内容は実際に『告白』を観た方(若しくは小説を読んだ方)が早いと思いますので、そちらにお任せするとして、今回僕がこの映画を観て、あなたにお伝えしたいことは以下となります。

  • 自分の理性を信じて

この映画『告白』は映倫によってR15+指定を受けています。R15+の理由は、中学生の殺人・いじめ描写があるから、とのこと。僕個人の意見としては、小学生・中学生でも『告白』を観て、真剣に「命」に対して考えた方が良いのでは・・・・と思っていますが、それはここでお伝えしたいことではないので、話を戻します。

僕が冒頭で「胸が締め付けられる感覚」と表現した理由は、

  • フィクションだと100%感じられなかったから

です。もちろん、誰もがフィクションだと思ってこの『告白』を観ているんですよ。でも、なぜか胸が締め付けられた。きっと観た人の多くは僕と同じ感覚を少なからず体験したのではないでしょうか。それは、今の世の中に少なからず重ね合わせてしまったのではないかと僕は思うからです。それが無意識的だとしてもです。

実際にこの映画は13歳の少年2人が深い理由もなしに森口(松たか子)の子供を殺すということが始まりです。しかも、少年のうち1人は少年法を理解しているところがまたリアルなのです。実際の現実に当てはめてみてもこういった事件って最近多くないでしょうか?

人間の行動には必ず理由があります。

この少年2人には深い理由もなしに殺人を犯したと我々は受け取りますが(一応映画の冒頭森口の告白で少年2人の殺人目的は語られますが)、映画が進むにつれて、彼らには彼らなりの本当の理由(行動理由の根本)が告白されていきます。

しかし、当たり前ですがこの彼らの行動理由がいかなるものであろうとも「殺人」は“いけないこと”です。“罪”とも“悪”ともいえると思います。ただ、ここである一つの質問をあなたに問いたいと思います。それは

  • 「なぜ人を殺してはいけないのですか?」

この質問をあなたの大切な人からされたと仮定して、その大切な人を納得させるだけの回答をあなたはできますでしょうか?


・・・・・・


正直僕はできません。もし仮に自分の大切な人を納得できたとしても、例えば全人生を賭して「人を殺したい」と思っている人を納得させるだけの回答を僕は思いつきません。それは、そもそも「人を殺してはダメ」というのは、理性の世界のことであり、それを我々が生きている現実の世界に置き換えられないがために、誰しもが納得できる回答に辿り着けないからだと僕は考えます。

では、実際に「人を殺してはダメ」「命は大事」ということをどうすれば相手に伝えられるのか?

この質問への現時点の僕の回答が、

  • 自分の理性を信じて

ということなのです。つまり、「人を殺してはいけない理由」なんて、結局はロジック(論理)では説明できないのです(あくまで今の僕が、という意味です)。

例えば、子供とお父さんのやり取りで、

  • 子供:なんで人を殺してはいけないの?
  • お父さん:そんなもん当たり前だろ!殺していいわけないだろ!

このやり取りこそ、僕が伝えたいそのものなのです。

つまりは、「理性」でしかこの問題は解決できないのです(しつこいようですがあくまで現時点の僕が、という意味です)。ただ、こういう話をすると必ずひねくれ者がいます。例えば今回の映画『告白』の犯人の理性は「人の命は軽い」と描写されています。そういう人には僕の理念はなんの説得力も持たないというわけです。

確かにそうかもしれません。ただ、この議論もあくまでロジック(論理)上での事です。ロジック(論理)で表現できない「理性」で「ダメなものはダメ!」と感じることがあれば、それがこの問いの答えになると思うのです。

また。

この映画『告白』には少年2人の殺人のほかに、クラスメイトのいじめもリアルに描写されています。いじめの対象は殺人を犯した少年です。いじめは決して良いことではありません。但し、いじめの対象は殺人を犯した少年です。「お前は責任感じてねぇだろ!人殺し!」といった具合に。

はたしてこのいじめをあなたは止められますか?

殺人を犯したからいじめる。しかもこの『告白』ではいじめるクラスメイトがかなり異様な光景で描かれています。クラスメイト全員が何かを忘れるために・考えないためにいじめを繰り返します。しかも笑いながら。はたしてこの行為をあなたの「理性」で判断した場合どうでしょうか。

  • 人殺しだからいじめて当たり前
  • 人殺しは死んで当たり前

はたして本当でしょうか?
実際に僕はこのいじめのシーンを観て次のような印象を受けました。

  • 仲間外れにされたくないからいじめる

どうでしょうか?あなたも少なからず似たような印象を受けませんでしたか?人間は人と違った行動を恐れます。人と違う行動をしないように洗脳されているわけですから当たり前といえば当たり前ですが。

そう、つまりは「仲間外れにされたくないからいじめる」という判断は「理性」の機能を停止させて行われている行為だと僕は思います。でなきゃ「人殺しだからいじめて当たり前」なんて発想がでてくる訳がないのです。「理性」を感じていれば尚更です。

我々は日常生活を過ごす上で、自分自身の「理性」というものを停止させてしまっているといっても過言ではありません。今回『告白』という映画を観て、胸が締め付けられる感覚に襲われたのは、まさしくその理性が活動を活発化して僕に語りかけた結果起こった現象だと受け止めます。

映画『告白』はあくまでフィクションですが、あまりにも今の日本という時代に適合したリアルな日常で描かれています。その結果、『告白』は我々に多くのものを訴えかけてきます。その訴えかけられた問題を「理性」を停止させずにあなたの「理性」で判断して欲しいと僕は思います。

人と違ったっていいんですよ。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

山本 和広

日常考察

  • 他と合わせる必要はない。なぜならあなたの理性が停止してしまうから
  • 理性を信じ、考え・行動することが大切

追伸
『告白』での松たか子さんの演技は素晴らしいと思います。松たか子さんの演技は初めて観ましたが、好きな女優さんになってしまいましたね。結構メディアに影響されやすい自分がいることが確認できました(笑)。これも「理性」に従った結果ですけどね!

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