神学部とは何か

こんにちは。
山本です。

今日とある用事でたまたま秋葉原に向かったら、ヨドバシカメラに人だかりができていました。何の気なしに覗いてみたら、iPadの日本発売日だったんですね。しかもその人だかりはどうも「予約待ち」の列だった模様。つまりは、今日手に入らないのに並んでいるのです。

iPadで「電子書籍時代の幕開けか?」なんて事がいわれているみたいですが、どうなるのでしょうか。まっiPadは電子書籍というよりも、電子書籍を包括したPCってイメージが強いかもしれませんね。

「あんなもので本が読めるわけがない」というのが僕個人の見解です。いや実際には本は読めますよ。僕が云いたいのは電子書籍では本をきちんと読む思考は養えないという事です。今日はその話をしたい訳ではないので、理由はまた今度ということになりますが、あなたはどう考えますか?もし暇があったら少しでも考えてみてくださいね。まぁこの主張もこれから僕の思考を超えたニュータイプな人間が育ってきたらわかりませんけどね。

では早速、選択肢過剰の時代にこれだけ人々を惹き付ける商品(サービス)を提供しているアップル社に取りあえずの賛美を送り、本日の読書考察いってみましょう。


神学部とは何か

神学部とは何か―非キリスト教徒にとっての神学入門
 佐藤 優 著
 新教出版社

あなたは今までに「神学」というものに触れたことがありますか?

実際のところ、多くはないですよね。寧ろ初めてこの単語を知ったという人も中にはいるのかもしれませんね。一応「○○学」とついていますので、○○に対して理論的考察を行うものであるとは、なんとなく感覚で理解できると思います。しかし、その○○が「神」となると、あまりにも抽象的過ぎてあなたの理解の範囲を超えてしまうのかもしれません。

いきなり「神」と演繹的に言われても、実感が湧かないというのが正直なところではないでしょうか。実際に僕だってそうですから。

そんな我々に、神学が人生においていかに役に立つ学問であるかを説いているのがこの本になります。著者である佐藤優氏は本書で神学を以下のように伝えています。

それでも神学は「役に立つ」
 しかしながら、一見役に立たないように見える神学という学問が、一人一人の人生の危機において、あるいはまた時代の大きな転換期において、ものすごく役に立つ。神学には本当の意味での実用性がある。
(中略)
 さらに様々な形で神学を勉強していくと、人間の限界を知ることができる。つまり「人間にはどこまで分かって、どこからが分からないか」ということが分かるのである。人間の限界が分かると、人間の社会の限界が分かる。それが分かると、人間の制度の限界も分かるのである。人間は限界を知ると不必要な怖れを抱かなくなる。


本としては文字も大きいし、注釈も多く、そんなにページ数もないので一気に読めてしまう内容です。もし、少しでも神学に興味が湧いたなら読んでみてはいかがでしょうか。

それでは、この本を読んで僕なりの読書考察は以下からです。

1.人間の限界

さてさて、いきなり「人間の限界」っていわれても正直ピンときませんよね。ましてや、社会の限界・制度の限界なんていわれると、ますます取っ付きづらくなる、というのが本音ではないでしょうか。

勿論、何事も1歩1歩前進していくことで、「経験」と「きっかけ」の反応により理解が膨らむのですから、神学に少し触れたからっていきなり限界がわかる訳がないのは当たり前です。

そんな時は、自分のわかる範囲にブレイクダウンして考えるのが定石です。そっちの方がわかりやすいですしね。で僕は「人間の限界」を、

  • 知ること(=経験すること)

と置き換え考えました。つまり、限界は知ること(=経験すること)によって広げていくということです。その限界が行き着いた先が、神学でいう「人間の限界」という意味になるのだということです。そこで初めて、人間の限界について考え、ついては社会・制度の限界まで枠を広げればいいだけだと僕は考えます。

例えば、こういう視点を持っていない人は、自分の周りが暗闇と同じです。右を向いても左を向いても、はたまた上を見ても、下を見ても先が見えない。昨日の日常考察記事でも少し書きましたが、我々人間は暗闇を怖れます。もっといえば見えないから怖れるのです。360度見えないだらけだったら、そりゃ怖いですよね。右にあとどれくらいいけるのか?下はあるのか?そんな環境下では思考範囲が狭くなって当然です。所謂、無思慮な人間になってしまうということです。

僕が先ほどお伝えした「知る」というのは、この暗闇をライトで照らしていく、というイメージです。左はいけないと思っていたけど、ライトで照らしてみたらあと50mはいけそうだ、ってな感じです。

左に50m進んだら、また「知る」という経験をし、今度はあと20m左にいける。そしたら、上に30m上がれることがわかった。こんな感じであなたの暗闇がどんどん「知る」というライトに照らされて見える範囲が広がっていきます。

この「知る」という行為を繰り返すことにより、暗闇だらけだった最初に比べて、思い切った行動が取れると思いませんか?

「今度は斜め右上にジャンプしてみようかな」

といった具合に。そう、それこそ「知る(=経験)」ことによって、自分自身に自信がついたということなのです。つまりは「今」の自分の限界を知ることによって、勇気がついたということ。

そうすると、どんどん新しいことにチャレンジしたくなります。自分のライトが大きくなる快感と、暗闇が見えてくる快感が合わさり、自己の成長が実感できます。こうなるともう誰にも止められません。次々にライトの範囲を広げるために、次々に「知る」ことを貪欲に求めている自分が発見できると思います。これを人は「自信がつく」というのだと思います。

この繰り返しの過程で、神学も知りたいという欲求が出てきた時点で神学に取り組めばいいのです。こういった本を読むと「神学を学ばなくちゃ限界はしれないのか・・・」と考えてしまう人がいます。でもこれは間違いです。別に神学を勉強しなくたって、人間の限界は考察できます。先ほどのライトの例えを思い出してください。右から進もうが、上へ進もうが、限界を知るルートは無数にあるのです。この視点を持っている限りあなたは成長し続けていくことができるでしょう。

もちろん、神学は非常に興味深い学問だと思います。なので、少しでも興味があれば試してみればいいのです。試した上でまた何か気づく事があるでしょう。世の中結構完璧主義者の人が多いのですが、なにも神学を最初から最後まで全て理解しなくたって良いんですよ。「いま」の自分がわかる範囲でわかれば。それでもライトの幅が「少し」広がりますから。その広がった「少し」が他者とあたなを分かつ大きな分岐点かもしれません。

以上、読書考察でした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

山本 和広

読書考察

  • 「知る」ことは「知」を得る(生み出す)こと。
  • 「知」を得る(生み出す)と、人は自信が持てる。

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